改訂新版 世界大百科事典 「ポリネシア人」の意味・わかりやすい解説
ポリネシア人 (ポリネシアじん)
Polynesian
太平洋のポリネシアに住む人々の総称。
人種的特徴
ポリネシアの諸言語は,イースター島からアフリカ東岸のマダガスカル島までの範囲に及ぶアウストロネシア語族の一部をなしており,ミクロネシアやメラネシア東部の諸言語と密接な親縁関係をもつ。これはポリネシアの人種の起源を考えるうえで重要な手がかりを与える。メラネシア人がその身体形質,言語,文化において多様な変化をみせるのに対し,ヨーロッパ人と接触する以前のポリネシア人は人種,言語,文化においてかなり同質的であり,地方的な偏差はあるが比較的等質な身体特徴をもっていた。身長は167.5~174.8cm,褐色の皮膚をもち,頭髪は黒色の波状毛である。顔は卵円形でほお骨が高く,幅広の高い鼻をもち,虹彩は暗褐色で眼瞼にはときとして蒙古ひだがあり,体毛は少なくひげは濃い。一般に短頭であるが,西ポリネシアやニュージーランドでは長頭の傾向があり,頭長幅示数は74.3~86.5を示す。下肢は比較的長い。
ポリネシア人は一般にミクロネシア人よりも長身でかつたくましいが,これはポリネシア人の生活条件がより恵まれていることによるものと思われる。ポリネシア人の身体特徴はモンゴロイドとの強い類似を示すとともに,メラネシア要素の混入もみられる。現在では白人やアジア系移民との混血が進み,純粋のポリネシア人は少なくなってきている。
社会組織
ポリネシア人の伝統的社会は,個人の生得的な身分によって貴族と平民に区別される階層制社会である。この社会の構造上の特色は,リネージに相当する選系出自集団と,長子の系統を社会的に優越させることによって成員および選系出自集団間に序列化をつくることにある。この出自集団のメンバーは双系的にたどられるが,一般には父系が重視され,社会・経済的な単位集団は拡大家族であり,直系の長男が家父長として大きな権力をもつ。各出自集団において,すべての個人は集団の始祖の長子から長子を経て現在にいたった者を最高位とし,彼からの系譜的距離に応じて社会的地位が順序づけられる。またこの原理は異なる出自集団の最高位者である各首長の間に大首長,中首長,小首長というような序列をつくる。
タヒチ,トンガ,ハワイなどではこの始祖からの系譜的距離に基づき貴族と平民の階層分化がみられた。タヒチでは貴族層は政治,経済,宗教,戦争などの役割を,他方,平民は農業労働などを担っていた。貴族のうちでも最高の首長は偉大な神の子孫として莫大なマナを身体に充満させているため,平民が彼に,直接的にも間接的にも接触することは死にいたる危険があり,タブーの対象とされた。この首長は必要と思ったいかなるもの(言葉から品物まで)にもタブーを宣言できた。マナとランクの概念は極端にランクの差異のある人の間に,一種の禁忌をつくりだし,身分の区別をはっきりさせる働きがあった。このマナとタブーは社会をコントロールするための背景として,ポリネシア人の日常生活のあらゆる面に深く浸透していた。また,首長は日常の生活物資の集積と再分配の焦点であり,これら物資の集積は首長の個人的消費に充てるというよりも,大部分は再分配の形で生産者に還元されるのが常であった。平民からのこれら物資の集積や労働力の提供は強制的なものでなく,親族に対する義務的慣習の一つであり,封建体制下での原理とは異なるものである。
ヨーロッパ人との接触以後,キリスト教の宣教師たちによる首長たちの改宗は,ポリネシア古来の宗教的慣行を打破しただけでなく,首長のもつ権力は宗教的なタブー・システムを通じて発揮されてきたため,これまでの階層制社会を急速に崩壊させた。また土地はそれまで共同で所有されており,その代表者が首長であったが,土地が個人所有されることになったハワイでは1890年にはその3分の2が宣教師やその子孫である白人のものとなった。タヒチにおいても,コプラ・ブームとともに,首長が生産の禁止を宣言できる伝統的なラフイ制度の廃止が,個人的土地所有化を促進した。現在も世襲的な首長が支配力を保持している社会は,トンガ諸島とサモア諸島だけである。
今日のポリネシアでは,知事や行政官が首長に代わり,ヨーロッパ風の近代的民主政治も行われるようになってきた。また島の都市への人口集中がみられ,都市の魅力が若者を田舎から都市へと向けさせている。またアメリカ合衆国やニュージーランドへの出稼ぎや移民が増しており,これは近年の医療衛生の導入による人口増とも関係している。ポリネシアの産業は小規模な食品加工などがあるにせよ,コプラ生産などの農業を主とするためにこの過剰人口を吸収できない。経済的には白人,アジア系移民の支配が優勢であり,原住民はきわめて低い地位におかれている。これらの変化に伴い,地方の過疎化や大家族から小家族への移行がみられる。
生活,文化
ヨーロッパ人と接触するまでのポリネシア人は金属器を知らず,石器や貝殻などの原始的道具のみを使用し,また土器や機織りも知らなかった。しかしながら利器の素朴さにもかかわらず,技術は精妙であり,数々のポリネシア独自の工夫がみられた。ポリネシアでは漁労と農耕が生活の基盤であるが,太平洋での長距離航海に耐えるアウトリッガー・カヌーや全長数十mにおよぶダブル・カヌーには幾何学紋様の精巧な彫刻や彩色がほどこされていた。またカヌーの製作だけでなく,航海に関する知識が非常に発達しており,各島の天頂を通過する星,波のうねり,海の色,雲のでき方,海鳥の飛び方などによって各島の位置を知った。漁法の発達は多岐にわたり,弓矢や投槍による漁法から,やな,漁網,釣針,毒などによる漁法があった。環礁は人々に日々の食料に必要な魚貝類を供給し,貝や亀は装飾品や釣針などの原料とされた。そのほかカニ,エビ,ナマコなどが食事に供された。環礁の外側の海にはカツオやマグロが豊かであり,釣漁の対象とされ,芸術的ともいえる精巧な釣針がつくられた。危険な外洋でのサメ獲りや鯨獲りは個人の名声を高め,鯨の歯は首長の権威の象徴とみなされた。地位の高い人々は真珠のネックレスや羽毛などで身体を飾る特権があった。
ポリネシア各地で入墨の慣習があり,マルキーズ諸島やニュージーランドのマオリ族などでは全身に描かれた幾何学紋様が芸術的ともいえる作品を生んだ。土器がないため,料理は主として材料を葉にくるみ地炉で蒸焼きにするウム料理で,東南アジアから連れてきた家畜は犬,鶏,豚であったが,祭礼のとき以外豚肉を食することはまれであった。家は一般に開放的であり,壁のあるものとないものがあった。農作物はタロイモ,ヤムイモ,バナナ,ココヤシ,パンノキの実,サツマイモなどであった。とくにタロイモの栽培はさまざまの環境条件に応じた工夫がみられ,棚田や灌漑施設がつくられ,低いサンゴ礁では水がないため,溝を掘って堆肥が入れられていた。衣服はクワ科植物の内皮をたたきのばしたタパtapaと呼ばれる樹皮布が織布の代りに用いられ,すぐれた品質をもっていた。ポリネシアではアルコール性飲料は知られず,コショウ科の植物からつくられたカバは麻酔性があり,首長の会合などのとき特別な作法で飲まれた。このような会合の場合,人々はたくさんの食物を首長に献じたが,これら食物は首長が独占するのではなく,人々に再分配されなければならず,この再分配を専門職とするものがいた。首長制の発達した社会では社会的分業がみられ,大工,舟大工,彫刻師,入墨師などの専門職の分化がみられる。首長たちは一般にこの日常的仕事に従事することはなく,宗教的・政治的問題にかかわっていた。
これら伝統的生活も近年は大きく変化した。現在ではポリネシア人の大部分はキリスト教徒であり,日曜日に礼拝を欠かすことはない。草ぶき屋根からトタン屋根へ,石蒸しから鍋へ,タパから織布へと変わり,食物も缶詰などが好まれている。
→オセアニア
執筆者:石川 栄吉+矢野 将
美術
ポリネシアの美術は全域にわたって一様性を示している。それは,ポリネシアへの民族移動や文化の伝播が比較的新しく,過程も複雑でなかったことや,舟造りと航海に長じた住民が,諸島間の交通を盛んに行ったためであろう。しかし地域が広範なだけに,各諸島の美術それぞれに独自の特殊化がみられる。また,ポリネシア東端に孤立するイースター島だけには,巨石人像のモアイMoaiなど独特の造形がみられる。
ポリネシアでは,一般に木彫が発達し,神像,家屋,カヌー,儀斧(ぎふ),戦闘用棍棒,食器,櫛などに念入りな彫刻がみられる。なかでも注目すべきは,ニュージーランドのマオリ族のきわめて精巧な透し彫,浮彫の技術で,家屋の戸口の枠や窓の楣(まぐさ)などに,渦巻文などの抽象文様で豊かに装飾された神像が彫刻される。ハワイ諸島にもすぐれた美術がみられる。代表的なものは,大きな目と大きくゆがんだ口をもつ戦いの神の像で,木彫や鮮やかな羽毛をはりめぐらした蔓の編細工などで表現される。そのほか〈ティキTiki〉と呼ばれる小型彫像は,ポリネシア各地でみられる。ティキは,中央ポリネシアでは神を表し,マルキーズ諸島では男性像の様式的な表現をみせる。トンガ諸島,サモア諸島,タヒチ島などでは造形作品がきわめて乏しい。しかしこれらの諸島ではタパ(樹皮布)の技術が発達している。タパには島により独自の文様があり,手描きやさまざまな版画の手法がみられる。とりわけハワイ諸島のタパは文様が繊細で色彩が豊富である。多くの地域ではすでにタパがつくられていないが,ポリネシア西部では今日なお盛んにつくられている。なおポリネシアでは土器や織物を制作しないが,土器に関してはマルキーズ諸島,サモア諸島,トンガ諸島などで古い土器の破片が多く発掘されている。
執筆者:福本 繁樹
音楽
ポリネシアの文化領域は東部と西部に分けられるが,全体的に統一感が強いため,音楽の内部構造,文化的関連において,本質的に共通の特徴がみられる。たとえば,ヤシ殻,竹,木,石を利用した楽器が踊手自身によって奏され,しかも歌を同時に歌う演奏形態を基本とし,声の表現はなめらかな曲線的音高変化,大きなビブラート,多声合唱を特徴としている。この伝統は,ギターやウクレレの導入とキリスト教化に伴いハワイアン,フラダンス,賛美歌などの新しい表現形態のなかに積極的に取り入れられ,汎太平洋的な様式を形成することに役立てられた。そしてこれが観光産業の重要な一端を担っている。最近では,より純粋な伝統様式を復興させる気運も高まっていて,学校教育や社会行事にも組み入れられ,さらに新しい様式を模索しているのが現状である。
執筆者:山口 修
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報