ヴェルサイユ体制

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヴェルサイユ体制」の解説

ヴェルサイユ体制(ヴェルサイユたいせい)

第一次世界大戦後,ヴェルサイユ条約を中心とする一連講和条約を基礎に成立したヨーロッパの国際体制。太平洋地域のワシントン体制とも密接に関連して,第一次世界大戦後の1920年代の国際関係を規定した。イギリス,フランスなど戦勝国の利害追求が支配する一方,ドイツなど敗戦国の領土削減,軍事的弱体化が図られた。民族自決の原則のもと,東欧,バルカン諸国の独立が承認されたが,それはドイツを包囲する一環としての面を持つ一方,革命ロシアに対する「防疫線」という面もあわせ持った。イギリス,フランス,アメリカ,日本など帝国主義戦勝国はアジア,アフリカへの植民地支配の継続を前提とし,委任統治方式で旧ドイツ領植民地やオスマン帝国領の再分割を行った。イタリアは戦勝国側に立ちながら講和会議を通じて領土拡大を果たし得ず,やがて国民ファシスタ党政権成立とともにヴェルサイユ体制の反対者の側にまわった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ヴェルサイユ体制」の解説

ヴェルサイユ体制
ヴェルサイユたいせい

第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約を中心に成立した国際秩序
ヴェルサイユ条約のほかに,サン−ジェルマン条約・ヌイイ条約・トリアノン条約・セーヴル条約が成立し,戦後約10年間の国際秩序が維持された。これは,イギリス・フランスの主導下に,敗戦国の犠牲の上に立った安全保障体制であり,ソ連敵視の傾向が強く,国際連盟・ロカルノ条約・ロンドン軍縮会議などを通じての国際協調も,この体制の強化をめざしたものであった。ドイツの不満は根強く,国際連盟にアメリカが参加しなかったこともあり,不安定要因を抱えていた。1929年以後の世界恐慌激化は,この体制の矛盾を表面化させ,ドイツ・イタリア・日本などのファシズム国家の出現と,その侵略的外交の開始によって崩壊した。

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