トリアノン条約(読み)とりあのんじょうやく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トリアノン条約」の意味・わかりやすい解説

トリアノン条約
とりあのんじょうやく

第一次世界大戦とオーストリアハンガリー帝国崩壊ののち、1920年6月4日、ベルサイユのトリアノンTrianon宮殿で、連合国とハンガリーとの間に結ばれた講和条約。この条約サン・ジェルマン条約とにより、ハンガリーはオーストリアから独立し、旧ハンガリー領からは、スロバキアクロアチアトランシルバニア分離、一部領土はオーストリアとイタリアに割譲された。これによりハンガリーは旧領土面積の3分の2、人口の5分の3を失った。戦前多民族国家であったハンガリーは、この領土分割によって単一民族国家になったが、逆に300万人の自民族を国外に置くこととなった。以後、戦間期ハンガリーには強力な失地回復運動が起こり、それが政治、外交、文化を規定した。一方、ハンガリーから領土を得た周辺諸国は、この条約の維持を目ざして「小協商」を結成、ハンガリーの動きを牽制(けんせい)した。

[南塚信吾・羽場久浘子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トリアノン条約」の意味・わかりやすい解説

トリアノン条約
トリアノンじょうやく
Treaty of Trianon

第1次世界大戦後の 1920年6月4日,パリ近郊のベルサイユのグラン・トリアノン宮殿で調印された連合国とハンガリーとの講和条約。この条約により,ハンガリーは陸軍を3万 5000人に制限され,海軍は一切禁止されたうえ,賠償金を課せられた。またその領土はチェコスロバキアユーゴスラビアルーマニアなどの隣接国に割譲させられた結果,面積は戦前の3分の1に,人口は5分の2に縮小された。

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