改訂新版 世界大百科事典 「一人称映画」の意味・わかりやすい解説
一人称映画 (いちにんしょうえいが)
first-person narrative film
見る者,すなわちカメラの目がそのまま〈私〉になる一人称的主観描写映画。S.M.エイゼンシテインはこの手法を〈潜在意識を象徴的に表現し,幻想的な夢の連想の内面世界をスクリーンに示す試み〉であり,〈レンズの“目”を観客の目に結合し,映画の物語の人物の名で映画の主人公の席に観客をおく試み〉と定義して,その〈視覚的シンタックス(文章構成法)の基礎〉は,G.W.パプスト監督《心の不思議》(1926)などのドイツ表現派の心理分析的映画にあったと分析している。走る人間や走る車の運転席や馬上から見た目でとらえられた風景描写など,映画の中で〈主観カメラ〉〈一人称カメラ〉,あるいは〈カメラ・アイ〉テクニックが使われるのは通常のことで,サスペンスのテクニックとしても,なぞの主要人物の顔を観客に見せないために,また回想形式の一つとして,この手法は部分的によく使われるが,レーモンド・チャンドラー原作,ロバート・モンゴメリー監督・主演の《湖中の女》(1946)は,全編この手法で貫かれている史上唯一の長編劇映画である。すべてが主人公である〈私〉,すなわち私立探偵フィリップ・マーローの感覚と心理をとおして語られる(主人公が座るとカメラも相対的に低くなり,カメラに向かってつき出された相手の拳銃をカメラのわきから主人公の手が出て奪い取る等々)。プロローグおよび中ほどでカメラ(観客)に向かって自己紹介したり事件の経緯を語る説明的な2~3のカットを除けば,ドラマの進行の間に〈私〉が姿を見せるのは,カメラが鏡の前にとまるときだけである。しかし,映画が人物の主観の中に入っていくという実験的意義は評価されたものの,このような一人称描写が人間の心理の内面を描く技法となりえたかは疑問視されている。ハリウッド映画の常識を破ったオーソン・ウェルズも,彼の最初の映画としてジョゼフ・コンラッド原作の《闇の奥》を全編一人称カメラで映画化しようとして果たさなかったが,代りに撮ることになった《市民ケーン》(1941)の,アンケートするレポーターの主観描写に,一人称カメラのなごりが見られる。
執筆者:柏倉 昌美+山田 宏一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報