日本歴史地名大系 「一休寺」の解説 一休寺いつきゆうじ 京都府:綴喜郡田辺町薪村一休寺[現在地名]田辺町薪 里ノ内甘南備(かんなび)山の北東麓にある。霊瑞山と号し、臨済宗大徳寺派。本尊は釈迦如来。正式には酬恩(しゆうおん)庵という。〈京都・山城寺院神社大事典〉〔創建と一休の再興〕寺伝によれば正応年間(一二八八―九三)に大応国師南浦紹明が当地を訪れ霊瑞山妙勝(みようしよう)禅寺を創建したが、元弘の乱で堂塔は焼亡、荒廃した。その後一休宗純が永享(一四二九―四一)頃復興を志し、康正二年(一四五六)に落成、あわせて傍らに自らの退隠所として草庵を設け、法祖の恩に報いるとの意で酬恩庵と名付けたという。一休はその後各地を転々とするが、「狂雲集」によれば摂津墨江(すみのえ)(現大阪市)で出会った盲女森侍者を文明四年(一四七二)当寺に引取っている。同七年、かつて応仁の乱を避けて住んだことのあった京都東山の虎丘(こきゆう)庵を当寺内に移し、そこに寿塔を建てて「慈楊」と名付け、同一三年八八歳で没するとこの塔に葬られた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「一休寺」の意味・わかりやすい解説 一休寺いっきゅうじ →酬恩庵 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by