一幡(読み)いちまん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「一幡」の解説

一幡 いちまん

1198-1203 鎌倉時代,源頼家(よりいえ)の長男
建久9年生まれ。母は比企能員(ひき-よしかず)の娘。建仁(けんにん)3年父危篤(きとく)のとき没後の諸国地頭職分割が決定され,関東28国の地頭職をつぎ,関西38国の地頭職は叔父千幡(源実朝(さねとも))に譲与されることにきまる。これを北条時政陰謀とみて時政追討をくわだてた能員らとともに,建仁3年9月2日北条軍に討たれた。6歳。

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朝日日本歴史人物事典 「一幡」の解説

一幡

没年:建仁3.11.3(1203.12.7)
生年:建久9(1198)
鎌倉幕府2代将軍源頼家の子。母は比企能員の娘若狭局。『吾妻鏡』は建仁3(1203)年9月2日に比企一族と共に小御所で自殺し,焼け跡に残された1寸ほどの小袖の端の模様からその死が確認されたとするが,疑わしい。母の若狭局に抱かれて小御所を脱出したが,後日北条義時の郎等に捕らえられ,11月3日に殺されたとする『愚管抄』の記事の信憑性が高い。

(美川圭)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「一幡」の解説

一幡
いちまん

1198~1203.9.2

鎌倉前期の将軍源頼家の嫡男。母は比企能員(ひきよしかず)の女若狭局。1203年(建仁3)8月,北条時政と政子は頼家を引退させ,関西38カ国の地頭職を頼家の弟千幡(実朝)に,関東28カ国の地頭職と総守護職を一幡に譲らせようとした。これに反発した頼家と能員は,時政と千幡を攻めようとしたが失敗。比企一族は,一幡とともに滅ぼされた。

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