阿野全成(読み)あのぜんじょう

改訂新版 世界大百科事典 「阿野全成」の意味・わかりやすい解説

阿野全成 (あのぜんじょう)
生没年:1153?-1203(仁平3?-建仁3)

鎌倉初期の武士源義朝の子。母は常盤義経の兄,頼朝の異母弟幼名今若。平治の乱後,醍醐寺に入れられ悪禅師と号した。1180年(治承4)頼朝の挙兵にあたり京都から下向して参加し,駿河国阿野に住した。北条時政の女阿波局(源実朝乳母)を妻としていたが,1203年謀反の疑いありとして将軍頼家により逮捕されて殺され,ついでその子頼全も京都で殺された。
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関連語 佐藤

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阿野全成」の解説

阿野全成 あの-ぜんじょう

1153-1203 平安後期-鎌倉時代の武将
仁平(にんびょう)3年生まれ。源義朝の子。母は常盤御前(ときわごぜん)。源義経の兄。阿野時元の父。平治(へいじ)の乱で父が敗死,京都醍醐(だいご)寺の僧となる。治承(じしょう)4年兄源頼朝の挙兵に応じる。のち駿河(するが)(静岡県)阿野にすみ,阿野冠者(あののかじゃ)と称した。建仁(けんにん)3年謀反容疑で捕らえられ,6月23日殺された。51歳。幼名は今若。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿野全成」の意味・わかりやすい解説

阿野全成
あののぜんせい

[生]?
[没]建仁3(1203).6.23. 下野
鎌倉時代,源義朝の子。母は常盤御前。義経の同腹の兄。幼名は今若丸。平治の乱後,死を許されて醍醐寺に入り全成といったが,頼朝の挙兵に呼応し,遠江阿野荘に拠った。建仁3 (1203) 年5月,謀反の疑いで捕えられ,翌月下野で殺された。

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世界大百科事典(旧版)内の阿野全成の言及

【阿波局】より

…北条氏の一員として,1199年(正治1)梶原景時粛清事件のきっかけをつくった。また1203年(建仁3)の阿野全成(頼朝の弟)の謀反・没落も全成の妻であった阿波局が,父時政や姉政子の指示で端緒をつくったとみられる。【小田 雄三】。…

※「阿野全成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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