新撰 芸能人物事典 明治~平成 「三保敬太郎」の解説
三保 敬太郎
ミホ ケイタロウ
- 職業
- 作曲家 ジャズ・ピアニスト
- 肩書
- 三保敬太郎事務所代表取締役
- 資格
- 国際A級ライセンス
- 生年月日
- 昭和9年 10月17日
- 出生地
- 東京都
- 学歴
- 慶応義塾大学〔昭和33年〕卒
- 経歴
- 父は日本人として初めて日本コロムビアの社長になった三保幹太郎。幼稚舎から大学まで一貫しての慶応ボーイで、7歳からピアノを始め、高校時代には守安祥太郎に師事し、16歳でセミプロのバンド、クール・ノーツを組んでプロのジャズ・ピアニストとなる。ミッドナイト・サンズ、トミー・パーマー・オーケストラ、エンバース・ファイブ、ビック・フォアなどのバンドを渡り歩いたのちフリー。昭和36年山屋清、前田憲男とともにモダン・ジャズ三人の会を結成。また早くから作・編曲でも才能を発揮し、その天才的なひらめきとユニークな楽才はジャズ評論家の岩浪洋三から“日本のジャズアレンジャーの草分けとして、日本のジャズにオリジナリティーを与えた一人”と評され、特に日本テレビの深夜番組「11PM」のテーマソングの作曲で知られる。映画音楽も多く手がけ、日活の〈事件記者〉シリーズや、石井輝男監督「花と嵐とギャング」、深作欣二監督「ファンキーハットの怪男児」などの音楽を担当。青島幸男監督の「鐘」では音楽監督を務めるとともに俳優としても出演。43年には寺尾聰らとザ・ホワイトキックスを組織し、グループサウンズ(GS)にも挑戦した。一方、スキーはオリンピック候補級の腕前で、自前でアイスホッケーのチームを持ち、レーシング・ドライバーのジム・ラッセルに師事して国際A級ライセンスを取得し、鈴鹿サーキットで行われた第1回日本グランプリに個人で出場するなど多趣味で知られ、その個性的なキャラクターを買われてタレントとしても活躍した。61年酒に酔って階段から転落し、その怪我がもとで亡くなった。アルバムに「サウンド・ポエジー・サチオ」「こけざる組曲」などがある。
- 受賞
- 芸術祭賞奨励賞〔昭和36年・38年・39年〕,空の音楽祭シルバーウィング賞〔昭和51年〕
- 没年月日
- 昭和61年 5月16日 (1986年)
- 家族
- 父=三保 幹太郎(実業家)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報