三島通陽(読み)ミシマ ミチハル

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「三島通陽」の解説

三島 通陽
ミシマ ミチハル


肩書
参院議員(緑風会),ボーイスカウト日本連盟創設

別名
筆名=三島 章道(ミシマ ショウドウ)

生年月日
明治30年1月1日

出生地
東京・麻布

学歴
学習院高等科〔大正5年〕中退

経歴
同人誌「三光」発行、大正8年「TOMODACHI」創刊。「愛の雫」「若き旅」「地中海前後」「寺田屋騒動」「おめでたき結婚」「三島章道創作全集」「英雄一代」のほか「劇芸術小論集」「演劇論と劇評集」「回想乃木希典」などがある。創作活動のほか、大正9年日本初の少年団、ボーイスカウト日本連盟を結成、12年少年団日本連盟副会長となった。昭和4年貴族院議員、19年文部参与官、20年幣原喜重郎内閣の文部政務次官を歴任。この間、数次にわたりボーイスカウト世界大会などに出席。戦後参院議員(緑風会 当選1回)となり、またボーイスカウト日本連盟理事長、総長を務め、ボーイスカウトの育成に尽力した。

受賞
ブロンズ・ウルフ賞〔昭和36年〕

没年月日
昭和40年4月20日

家族
祖父=三島 通庸(福島県令・警視総監子爵) 父=三島 弥太郎(日銀総裁) 妻=三島 純(ガールスカウト日本連盟初代会長) 娘=三島 昌子(ガールスカウト日本連盟会長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「三島通陽」の解説

三島 通陽
ミシマ ミチハル

大正・昭和期の政治家,小説家 ボーイスカウト日本連盟創設者;参院議員(緑風会)。



生年
明治30(1897)年1月1日

没年
昭和40(1965)年4月20日

出生地
東京・麻布

別名
筆名=三島 章道(ミシマ ショウドウ)

学歴〔年〕
学習院高等科〔大正5年〕中退

主な受賞名〔年〕
ブロンズ・ウルフ賞〔昭和36年〕

経歴
同人誌「三光」発行、大正8年「TOMODACHI」創刊。「愛の雫」「若き旅」「地中海前後」「寺田屋騒動」「おめでたき結婚」「三島章道創作全集」「英雄一代」のほか「劇芸術小論集」「演劇論と劇評集」「回想の乃木希典」などがある。創作活動のほか、大正9年日本初の少年団、ボーイスカウト日本連盟を結成、12年少年団日本連盟副会長となった。昭和4年貴族院議員、19年文部参与官、20年幣原喜重郎内閣の文部政務次官を歴任。この間、数次にわたりボーイスカウト世界大会などに出席。戦後参院議員(緑風会 当選1回)となり、またボーイスカウト日本連盟理事長、総長を務め、ボーイスカウトの育成に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三島通陽」の解説

三島通陽 みしま-みちはる

1897-1965 大正-昭和時代の少年団体指導者。
明治30年1月1日生まれ。三島弥太郎長男三島通庸(みちつね)の孫。大正9年弥栄(いやさか)ボーイスカウトを創設。11年少年団日本連盟の創立で副理事長,戦後はボーイスカウト日本連盟総長をつとめた。昭和4年貴族院議員,22年参議院議員(当選1回,緑風会)。昭和40年4月20日死去。68歳。東京出身。学習院高等科中退。筆名は章道。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「三島通陽」の解説

三島 通陽 (みしま みちはる)

生年月日:1897年1月1日
大正時代;昭和時代の少年団体指導者。ボーイスカウト日本連盟創設者
1965年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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