デジタル大辞泉
「三島通庸」の意味・読み・例文・類語
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みしま‐みちつね【三島通庸】
- 警視総監。薩摩国(鹿児島県)の生まれ。幕末、討幕運動に参加。維新後、東京府権参事。酒田県令となって県民のワッパ騒動を鎮圧。福島県令・栃木県令となって福島事件、加波山事件の原因をつくった。のち、警視総監に就任、明治二〇年(一八八七)保安条令を執行して自由党員を東京から追放し、自由民権運動を弾圧した。天保六~明治二一年(一八三五‐八八)
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三島通庸
みしまみちつね
(1835―1888)
明治時代の内務官僚。天保(てんぽう)6年6月1日、薩摩(さつま)藩士通純の長男に生まれる。討幕運動、戊辰戦争(ぼしんせんそう)に参加。維新後、東京府権(ごん)参事、教部大丞(だいじょう)を経て、1874年(明治7)酒田県令となり、封建地代の廃止を求める農民運動「わっぱ騒動」を弾圧。1876年山形県令、ついで1882年福島県令となり、会津若松から山形・栃木・新潟各県に通じる三方(さんぽう)道路の工事を計画。福島県会(議長河野広中(ひろなか))と衝突し、抵抗運動を組織した県下自由党員に弾圧を加えた(福島事件)。翌1883年栃木県令を兼任して同県下でも土木工事を推し進め、また、急進的自由党員から命をねらわれた。1884年内務省土木局長に転じ、翌1885年警視総監に就任。1887年三大事件建白運動を弾圧し、保安条例を執行して民権家570人を東京から追放した。同年子爵。明治21年10月23日死去。国立国会図書館所蔵の「三島通庸関係文書」は、自由民権運動研究の重要史料である。
[大日方純夫]
『平田元吉著『三島通庸』(1898・洗心書院)』▽『佐藤国男著『三島通庸伝』(1933・同書刊行会)』▽『幕内満雄著『評伝 三島通庸――明治新政府で辣腕をふるった内務官僚』(2010・暁印書館)』
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三島通庸 (みしまみちつね)
生没年:1835-88(天保6-明治21)
自由民権運動の弾圧に辣腕(らつわん)をふるった薩摩藩出身の内務官僚。討幕運動,戊辰戦争に参加。維新後,東京府権参事,教部大丞を経て1874年酒田県令となり,旧税法反対の農民運動ワッパ一揆を弾圧する。76年山形県令,ついで82年福島県令となり〈火付け強盗と自由党とは頭をもたげさせず〉と豪語。山形,栃木,新潟に通じる〈三方道路〉の工事を計画して,この負担に反対する河野広中議長以下の福島県会と全面対決し,県下自由党員に弾圧を加えた(福島事件)。翌年栃木県令を兼ねて同県下でも土木工事をおこした。一方,彼の暗殺をねらう急進派自由党員の動きも活発化して,これは加波山事件へと発展した。内務省土木局長を経て85年より警視総監となり,自由民権運動を弾圧。87年保安条例を執行して570人を東京から追放した。国立国会図書館所蔵の〈三島通庸関係文書〉は,自由民権運動研究の重要史料である。
執筆者:大日方 純夫
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三島通庸【みしまみちつね】
明治政府の官僚。自由民権運動の弾圧に辣腕(らつわん)を振った。薩摩(さつま)鹿児島藩出身。倒幕運動,戊辰戦争に参加し,維新後は東京府権参事などを経て,1874年酒田県令に就任,ワッパ一揆を押さえる。1882年福島県令となると土木工事による苛税を強制して福島事件を,1883年には加波山事件を,それぞれ誘発して弾圧。1885年警視総監となると1887年に保安条例を執行して570人を東京から追放するなど終始民権運動を弾圧した。
→関連項目県令|河野広中|田中正造
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三島通庸
没年:明治21.10.23(1888)
生年:天保6.6.1(1835.6.26)
明治時代の官僚。林太郎,弥兵衛,千木とも。薩摩(鹿児島)藩士三島通純,秀の子。家は代々御能方鼓役を勤め,幕末の石高は50石弱。急進的な尊攘派で,文久2(1862)年寺田屋騒動に連座,謹慎。その後長州征討,戊辰戦争に参加した。その間,藩内の寺院整理や廃仏にかかわり,また山陵取り調べを命じられる。維新後は藩の会計奉行,都城地頭を務めた。明治4(1871)年東京府に出仕,権参事として銀座煉瓦街の建設を進めた。5年教部大丞となり,神道に基礎を置く国民教化を展開し,木戸孝允,島地黙雷らと対立した。7年12月酒田県令に転出,以後17年11月内務省土木局長に転じるまで,鶴岡,山形,福島,栃木の各県令を歴任。その間栗子隧道,会津三方道路などの大土木工事を推進し,東北地方の産業育成に努めて「土木県令」の異名をとった。その強引なやり方は住民の反発を招き,「鬼県令」とも称され,特に会津の道路建設では自由党員や県議会と対立して,福島事件(1882)の原因を作った。18年12月警視総監に就任,20年12月保安条例が施行されると民権運動の活動家570人を東京から追放した。19年7月臨時建築局副総裁を兼任,上州遷都を建議している。当時鹿鳴館で開催された仮装パーティーで後醍醐天皇に忠誠を尽くした南朝の武将児島高徳に扮したのは,いかにも彼らしい。<参考文献>平田元吉『三島通庸』,佐藤国男『三島通庸伝』,国立国会図書館編『三島通庸関係文書』,阪谷芳直『三代の系譜』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
三島 通庸
ミシマ ミチツネ
- 肩書
- 福島県令,警視総監
- 生年月日
- 天保6年6月(1835年)
- 出生地
- 薩摩国鹿児島城下上之園町(鹿児島県)
- 経歴
- 薩摩藩士で、生家は代々鼓師範家であった。文久2年寺田屋事件に関係したが失敗。戊辰戦争では山陰、東北に従軍。維新後大久保利通の信任を受け、明治4年東京府権参事、翌年教部大丞を経て、7年酒田県令となり「わっぱ騒動」を鎮圧。15年福島県令となり、三方道路建設を命令。これに反対する農民、福島自由党員を弾圧、福島事件をひき起こし、土木県令、鬼県令といわれた。翌16年栃木県令を兼任。ここでも自由党の組織撲滅を図り、いわゆる加波山事件が起こった。17年内務省土木局長、18年警視総監に就任。20年保安条例の公布とともに民権家弾圧を強行、自由党員ら570名を東京から追放、3000人を検挙した。同年子爵。
- 没年月日
- 明治21年10月23日
- 家族
- 長男=三島 弥太郎(日銀総裁)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
三島通庸
みしまみちつね
[生]天保6(1835).6.1. 鹿児島
[没]1888.10.23. 東京
内務官僚。子爵。薩摩藩士として討幕運動に活躍。明治4 (1871) 年東京府権参事,明治5 (1872) 年教部大丞,1874年酒田県令,1882年福島県令となり,1883年栃木県令を兼ね,1884年内務省土木局長,1885年警視総監。各県令在任中は架橋,道路開発を強力に進め,土木事業で業績を上げた。一方で自由民権運動の弾圧にも強権をふるい,1882年に福島事件を,1884年に加波山事件を起こした。自由民権運動後期の大同団結運動に際しては保安条例で対抗。明治政府の強権的な側面を代表した人物といえる。
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三島通庸
みしまみちつね
1835.6.1~88.10.23
明治前期の官僚・政治家。子爵。鹿児島藩士出身。尊王攘夷運動に活躍し,戊辰(ぼしん)戦争に従軍。明治政府に入り,酒田・鶴岡・山形・福島・栃木の各県令を歴任。在任中,各地で道路の開発や庁舎・学校・病院・勧業試験場の建設など産業振興・都市計画を推進。反面,強引なやり方で住民と対立。とくに福島県令時代の1882年(明治15)道路建設の夫役が強い反対にあい,自由党員を中心とする県会と衝突し,福島事件のきっかけとなった。ついで内務省土木局長をへて警視総監兼臨時建築局副総裁となる。87年12月保安条例による民権派の東京外退去の実施にあたった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
三島通庸 みしま-みちつね
1835-1888 明治時代の官僚。
天保(てんぽう)6年6月1日生まれ。もと薩摩(さつま)鹿児島藩士。酒田,鶴岡,山形,福島,栃木の県令をつとめ,各地で道路,学校,庁舎などの建設をおしすすめる。明治15年会津三方道路の建設強行で,対立する地元農民,自由党員を弾圧(福島事件)。18年警視総監となり,20年保安条例で民権運動家約570名を東京から追放した。明治21年10月23日死去。54歳。
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三島通庸
みしまみちつね
1835〜88
明治前期の官僚
薩摩藩出身。1882年福島県令,翌年栃木県令を兼任。福島事件・加波山事件を誘発し,「自由党と火つけ泥棒はわが県にはおかない」と民権派を弾圧。'85年警視総監となり,保安条例を執行し,三大事件建白運動を弾圧した。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の三島通庸の言及
【加波山事件】より
…1882年11月の[福島事件]以来,関東諸県の自由党員の間には,狂暴化する政府の弾圧にテロリズムで対抗しようとする傾向が強まった。福島事件に連座した河野広躰,三浦文治ら福島の自由党員は,83年4月釈放されると,福島県令三島通庸(同年10月より栃木県令兼任)の暗殺を計画してその身辺をねらった。一方,栃木県では下都賀郡の自由党員鯉沼九八郎が83年末,政府転覆をめざして爆弾の製造を開始していた。…
【福島事件】より
…自由民権運動に対する最初の大弾圧事件。1882年,福島県令[三島通庸]と同地の自由党員・農民との対立が激化した結果おこった。東日本でもっとも早く政治結社が結成された福島県下では,明治10年代にはいると自由民権運動が大きな高揚をみせ,自由党(1881年10月結成)の拠点の一つとなった。…
※「三島通庸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」