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蒙古襲来絵詞 モウコシュウライエコトバ

デジタル大辞泉の解説

もうこしゅうらいえことば〔モウコシフライヱことば〕【蒙古襲来絵詞】

鎌倉後期の絵巻。2巻。奥書に永仁元年(1293)の年紀が残り、このころの作とされる。文永弘安の役に参加した肥後の武士竹崎季長(たけざきすえなが)が、みずから戦功を中心に描かせたもの。描写は正確で史料としても貴重。

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百科事典マイペディアの解説

蒙古襲来絵詞【もうこしゅうらいえことば】

文永・弘安の役で活躍した肥後国の御家人竹崎季長(すえなが)の戦闘記録絵巻宮内庁蔵の2巻(御物)のほかに断簡がある。季長が加護を受けた甲佐大明神へ報恩のため制作させ奉納したとされる。
→関連項目竹崎季長

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世界大百科事典 第2版の解説

もうこしゅうらいえことば【蒙古襲来絵詞】

肥後国の御家人竹崎季長(たけざきすえなが)がモンゴル襲来の際の自分の活躍をかかせた絵詞。《竹崎季長絵詞》ともいう。前後2巻を通じて内容は大きく四つの部分に分かれている。前巻の前半は1274年(文永11)の文永の役における季長の武功を物語っており,後半は恩賞獲得のために季長が鎌倉へ出訴して成功する経過を物語っている。後巻の大部分は81年(弘安4)の弘安の役における季長の活躍を述べており,最後の部分は奥書となっている。

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大辞林 第三版の解説

もうこしゅうらいえことば【蒙古襲来絵詞】

鎌倉後期の絵巻物。二巻。文永・弘安の役の際、肥後の武士竹崎季長すえながが自らの戦功を絵にして記録させたものという。描写は正確で史料的価値が高い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蒙古襲来絵詞
もうこしゅうらいえことば

鎌倉後期の戦記絵巻。御物。1274年(文永11)と81年(弘安4)の両度の元寇(げんこう)、いわゆる文永(ぶんえい)・弘安(こうあん)の役で活躍した肥後国の御家人(ごけにん)、竹崎季長(すえなが)の戦功を中心に描く。錯簡、散逸があるが、現在二巻に調巻され、上巻は、文永の役で博多(はかた)における季長一門の奮戦ぶりと、それにもかかわらず幕府の恩賞がないので鎌倉に下り真相を訴え、肥後海東郷の地頭(じとう)職を賜ったこと、下巻は、弘安の役において志賀島(しかのしま)の海戦で戦闘するありさまが収められる。画中に人名などの書き込みを施し、また人馬、武器武具などの描写も正確で、記録画としての性格を顕著に示し、とくに当時の戦闘、武装の模様を伝える史料としても重要である。奥書に「永仁(えいにん)元年(1293)二月九日」の年紀があり、このころの制作とみられる。季長自らの戦功を記録したもので、地頭職を得たのは海東郷の氏神甲佐大明神の神恩によるとし、その報恩のためと、子孫に末長く伝えるために制作されたと推定される。[村重 寧]
『小松茂美編『日本絵巻大成14 蒙古襲来絵詞』(1978・中央公論社)』

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