日本歴史地名大系 「三引村」の解説 三引村みびきむら 石川県:鹿島郡田鶴浜町三引村[現在地名]田鶴浜町三引・上野(うわの)ヶ丘(おか)山岳信仰の霊峰赤蔵(あかくら)山(一七九メートル)の北麓に位置する東西に細長い村。地名は通称御池(おいけ)・杉の堂(すぎのどう)・水呑場(みずのみば)の三湧水を水源とするため生じた三引川の名称に由来する(鹿島郡誌)。承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に三引保がみえ、承久年中の検注で公田数二町(もと四町四段六)に定められたとある。観応二年(一三五一)八月一八日足利尊氏方の吉見氏頼が同保の赤蔵寺に立籠り、越中から侵攻した足利直義方の桃井直信勢と戦った。次いで九月一六日劣勢の吉見軍救援のため長秀信勢が同保の「曲松要害」を占拠。同月一九日三引南山の吉見氏の陣地は桃井勢の攻撃を受けたが、二〇日には長氏の軍勢も山小田遠江掃部軍と三引山で戦い、二一日に至り三引の地に置かれていた桃井方の城砦を攻略し、直信らを越中に追返した(同年九月日「長野家光軍忠状」得江文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報