日本大百科全書(ニッポニカ) 「三方領地替」の意味・わかりやすい解説
三方領地替
さんぽうりょうちがえ
三方領知替とも書く。江戸幕府による大名転封の一形態で、3大名間で行われるものをいう。江戸期を通じておもに大名統制策として発動されてきたが、1840年(天保11)11月1日に発令されたものは後の上知令(あげちれい)を予測させるものであり、幕府権力の弱体化を象徴する結果となった。武蔵(むさし)国(埼玉県)川越(かわごえ)藩15万石の松平氏(越前(えちぜん)家)を出羽(でわ)国(山形県)庄内(しょうない)藩14万石へ、同藩酒井氏を越後(えちご)国(新潟県)長岡(ながおか)藩7万石へ、同藩牧野氏を川越藩へという譜代(ふだい)3大名への転封令である。各藩領民の訴願、とりわけ庄内藩領での反対運動が、転封中止を求める諸藩の結集や幕閣内での対立を生み出し、幕府をして翌年7月12日に撤回させた。
[浅見 隆]
『青木美智男・山田忠雄編「天保期の政治と社会」(『講座日本近世史6』1981・有斐閣)』▽『北島正元著『近世の民衆と都市』(1984・名著出版)』▽『百姓一揆研究会編『天保期の人民闘争と社会変革 下』(1982・校倉書房)』