日本歴史地名大系 「三日市町」の解説 三日市町みつかいちまち 新潟県:新発田市三日市町[現在地名]新発田市三日市早道場(はやみちば)町の北、加治(かじ)川右岸に位置し、早道場町とともに加治宿を構成した。はじめ村上藩領で、正保国絵図に「三日市村」と記される。貞享元年(一六八四)の郷村高辻帳では高三四八石九斗余。のち幕府領を経て、享保九年(一七二四)一万石を拝領して甲斐より入封した柳沢時睦の領分(三日市藩)となる。その陣屋は当初当地に置かれたというが、ほどなく館(たて)村に移った。同年の郷村高辻帳(伊藤喜太郎氏蔵)では三八一石四斗余。 三日市町みつかいちまち 福井県:敦賀市敦賀津内町三日市町[現在地名]敦賀市相生(あいおい)町観世屋(かんじや)町と鵜飼辻子(うがいがずし)町の間の辻子町。天正一〇年(一五八二)三月三日付町役免許状(奥富家文書)に「三日いち」、同一一年三月一三日付町役免許状(同文書)に「三ケ市町」とみえる。「敦賀志」は「宮本家記」を引いて「越中ノ神人八月四日会式の糧を持来、糧請の神人等前日三日ニ市をなす、故に三日市といふ」と町名の起源を記す。寛永一九年(一六四二)八月六日付神尾直次・青山吉次連署状(小宮山家文書)によれば、金沢藩の蔵屋敷が置かれ、小宮山家に管理を委託している。 三日市町みつかいちまち 石川県:小松市小松町三日市町[現在地名]小松市三日市町東は東(ひがし)町、西は竜助(りゆうすけ)町に挟まれた南北通りで、北は八日市(ようかいち)町に続く。長さ二町八間三尺・幅二間三尺(皇国地誌)。町名は三の日に定期市が開かれていたことによる。文政一三年(一八三〇)の小松城図では猫橋(ねこばし)と三日市町の間に「五日市 二十三間」とみえる。中世は野代(のしろ)庄本折(もとおり)に属し、天文一三年(一五四四)もと石川郡の吉藤専光(よしふじせんこう)寺下で当時本願寺直参門徒になっていた「野代三日市」の道念が、本願寺の御堂当番として上番(「天文日記」同年四月二四日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by