三箇北庄(読み)さんかきたのしよう

日本歴史地名大系 「三箇北庄」の解説

三箇北庄
さんかきたのしよう

丹波多紀たき郡に成立した三箇庄(三ヶ庄)の北部の呼称。南部は三箇南庄(毛志庄とも)と称し、現三田市母子もうし一帯に比定される。大治五年(一一三〇)鳥羽天皇中宮待賢門院璋子が京都仁和寺内に建立した法金剛ほうこんごう(現京都市右京区)領の庄園で、仁和寺が領家であった。「篠山領地志」は篠山盆地北部、寺内の大売てらうちのおおひるめ神社を総社とした浜谷はまだに寺内大熊おおくま佐倉さくら今福いまふく鷲尾わしお知足ちそく熊谷くまだに藤岡ふじおか遊谷ゆたに大谷おおたにの村々を庄域とする。「丹波志」には藤岡東窟とうくつ寺より出土した鐘の銘に「丹洲多紀郡三箇北御庄文安六年五月二日」と記されていたとある。永仁五年(一二九七)閏一〇月九日の六波羅御教書案(仁和寺文書)によれば、三箇北庄の前下司貞綱・貞重以下の悪党は、逐電した後、各地に隠れ住み、庄内を徘徊するなどの行動をとったため、六波羅探題は丹波の地頭御家人に彼らを捜し出して召進めるように、守護代税所左衛門尉道栄・大山おおやま庄地頭中沢左衛門尉基員に命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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