上兵庫村(読み)かみひようごむら

日本歴史地名大系 「上兵庫村」の解説

上兵庫村
かみひようごむら

[現在地名]坂井町上兵庫

下兵庫村の東にあり、坂井平野の中央部に位置する農村。現在は北小角きたこかど・南小角・大畠おおはたけ新在家しんざいけ東新宮ひがししんぐう・西新宮染田そぶた中央ちゆうおう垣内からなる。中世には奈良興福寺領河口かわぐち庄兵庫郷に属した。

下兵庫の呼称は江戸時代以前はみられないが、「大乗院寺社雑事記」文明二年(一四七〇)七月一四日条に「河口庄郷々内村名」として「大畠の村」「新宮の村」の村内垣内の名がみえる。また朝倉氏と甲斐氏の抗争を記したなかに朝倉方の兵庫城が甲斐方に焼払われたことがみえるが(同一二年八月三日条)、この城跡は明治九年(一八七六)の当村の地籍図によれば松原まつばら一帯の地と考えられる。


上兵庫村
かみひようごむら

[現在地名]橋本市隅田すだ町上兵庫

中下ちゆうげ村の西、紀ノ川右岸の丘陵地にあり、東西に大和街道が通る。古くは兵庫と称して下兵庫村と一村であったという(続風土記)。建仁元年(一二〇一)六月日付の沙弥某処分田地坪付案(隅田家文書)に「兵庫」、弘安八年(一二八五)一〇月六日の沙弥願心寄進状案(護国寺文書)に隅田北庄内として「兵庫荒野」とみえ、中世は隅田庄に属していた。

慶長検地高目録には「上兵庫村」とあり、村高一四四石余、小物成二斗四升五合。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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