上口村(読み)かみとよぐちむら

日本歴史地名大系 「上口村」の解説

口村
かみとよぐちむら

[現在地名]五城目町上樋口

馬場目ばばめ川左岸に位置し、北は川を隔てて五十目ごじゆうめ村に対し、南は黒坪くろつぼ村支郷新間あらま(現井川町)、東は館越たてごし村・高崎たかさき村、西は西野にしの村に接する。

慶長六年(一六〇一)の秋田実季侍分限(秋田家文書)に「参百八拾七石五斗六升 五十目庄之内 樋口村之内(ママ)」とある。

当村に知行地をもつ真崎長右衛門は、元和二年(一六一六)当村地内の新開差紙を得、真崎まさき堰の開削着工、同八年には水下の西野村など馬場目川下流左岸の独占的な開発権を認められた(「真崎氏家譜」八郎潟の研究)。また当村の肝煎猿田五兵衛は真崎堰の成功によって辛労免二〇石を給付され(真崎氏家譜)十王じゆうおう堂には真崎家が寄進した地蔵尊が今も安置される。


上口村
かみぐちむら

[現在地名]三郷市上口

番匠免ばんしようめん村の北に位置する。西端を流れる中川の自然堤防上に集落が発達し、東部の後背低湿地に耕地が展開する短冊状の村。村内を葛西かさい用水(本田用水)が流れる。地内の東光とうこう院所蔵の曲物の底部裏面に「天正十年壬午九月吉日 下総国下河辺庄彦宗郷 上番匠免村東光院 本尊盛鏡(花押)」とある。東光院付近は天正一〇年(一五八二)頃は上番匠免村といい、下河辺しもこうべ庄彦宗郷に属していた。


口村
かみひのくちむら

[現在地名]平鹿町醍醐だいご

東は外目そとのめ(現横手市外ノ目)、西は浅舞あさまい村、南は醍醐村、北は客殿薊谷地きやくでんあざみやち村に接する。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に村名がみえ、「雪の出羽路」によれば元和二年(一六一六)に上下二村に分れたという。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に、田野尻たのしり村・沖田おきだ村・いしとう村・藤島ふじしま村・松館まつだて村・金屋かなや村とあり、「雪の出羽路」に松館は正保四年頃廃村、はぎ村は郡邑記になしとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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