日本歴史地名大系 「上坂村」の解説 上坂村こうさかむら 鳥取県:日野郡日南町上坂村[現在地名]日南町豊栄(とよさかえ)道後(どうご)山(一二六八・九メートル)北麓と稲積(いなづみ)山(一一四三・三メートル)南東麓の狭間、九塚(くつか)川最上流域に位置し、東は大坂(おおさか)村、北西は稲積山南麓をめぐって湯谷(ゆだに)村に至る。万治元年(一六五八)大坂村蛇(じや)ヶ喰(はみ)を上坂と改称したといわれ(日野郡史)、かつては高坂とも記したとされる(日野山桜)。貞享―元禄期(一六八四―一七〇四)渡辺誉兵衛は当村の良田化に努めたという(日野郡史)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」による高五三石余、本免は四ツ。享和三年(一八〇三)大坂村の新田として届出された(藩史)。 上坂村かみさかむら 福岡県:京都郡豊津町上坂村[現在地名]豊津町上坂国分(こくぶ)村の南に位置し、祓(はらい)川西岸、豊津台地東麓に南北に集落が形成されている。元和八年人畜改帳、寛永九年(一六三二)の仲津郡寛永六年七年八年三ヶ年之御免帳(永青文庫)には村名がみえないが、同年小倉藩主として小笠原氏が入部したのちまもなく、国分村から分村したと推定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by