上大島村(読み)かみおおしまむら

日本歴史地名大系 「上大島村」の解説

上大島村
かみおおしまむら

[現在地名]榛名町上大島

碓氷うすい郡に属し、中里見なかさとみ村・下里見村の東にある。北はからす川を境に群馬郡神戸ごうど村・同郡下高浜しもたかはま村・同郡本郷ほんごう村、東は下大島村(現高崎市)。ほぼ東西に大戸おおど(信州道)神山かみやま通が貫通する。寛文郷帳では田方一九三石余・畑方五一石余、前橋藩領。明和二年(一七六五)の領知村高書上(松浦文書)では高二七八石余で、上里見藩領。江戸後期の御改革組合村高帳では高崎藩領、家数八八。元禄二年(一六八九)検地帳(「里見村誌」所収)では田方一九町六反余・畑方一三町九反余・屋敷地二町四反余。中山道板鼻いたはな宿(現安中市)大戸神山宿の助郷は上里見村と同じように勤めた。明治一〇年(一八七七)頃の家数七六(うち社一・寺一)・人数三四五、牡馬二七。


上大島村
かみおおしまむら

[現在地名]前橋市上大島町

東は下長磯しもながいそ村、南は下大島村、西は天川大島あまがわおおしま村、北は野中のなか村・上長磯村。清水しみず川が中央を南東に流れる。もと下大島村と一村で、山内上杉氏の所領を示す年月日未詳の上杉氏上州所領目録(彦部文書)に「大胡庄之内」として「大嶋村」とある。寛文郷帳では大島村は田方六一九石八斗余・畑方三〇一石三斗余で、「但松林在」と注記される。元禄郷帳で上大島村は二七〇石三斗余となる。「郡村誌」に「元禄年中旧記焼失開闢由緒分明ナラズ」と記される。天明二年(一七八二)の前橋藩領村々明細(井田文書)によれば、田方一五町二反余・畑方一八町余、家数六三、男一六三・女一二九、うち下男二、馬二二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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