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上方漁法 かみがたぎょほう

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百科事典マイペディアの解説

上方漁法【かみがたぎょほう】

先進漁場である瀬戸内・紀州熊野地方の漁民が培った漁労技術・漁法の総称。上方漁民は,近世前期に各地に進出し(移住したものも多い),進んだ漁法を伝えて漁業開発に貢献した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

上方漁法
かみがたぎょほう

上方から伝えられた漁業技術。とくに九十九里地方に伝わった地引網(じびきあみ)の漁法をいう。千葉県九十九里地方の地引網の起源について、『房総水産図誌 二』(1883、稿本)は、「土人伝フル処及其旧記等ニ由(よ)レバ、今ヲ距ルコト三百六拾有余年前、後奈良(ごなら)帝ノ弘治(こうじ)元乙卯年(1555)、紀州ノ人西宮久助ナル者難風ノ為(た)メ九十九里南白亀(なばき)浦」に漂着し、地引網漁法を伝えたという。この記載は江戸末期の『江浦干鰯(ほしか)問屋仲間根元由来記(こんげんゆらいき)』にもみえる。上方漁法の継受により、関東の地元漁民は逐次網漁業に進出するようになる。鰯(いわし)地引網の場合、関西出漁者の受け入れ後、ほどなく地元漁民が操業に着手した模様で、早くも1673年(延宝1)には九十九里浜南部の南白亀領で、村々の網主が地引網組合を結成していることが注目される。従来の研究、たとえば荒居英次によれば、関西漁民の関東出漁が本格的に始まった元和(げんな)・寛永(かんえい)年間(1615~44)から寛文(かんぶん)年間(1661~73)までを関東鰯網の勃興(ぼっこう)期とすれば、それ以後の元禄(げんろく)~享保(きょうほう)年間(1688~1736)までは発展期であったといわれる。明らかに上方漁法(地引網漁法)は、従来の小規模な関東漁業・漁法に比べて、漁獲量において格段の違いをもっていた。[川村 優]
『荒居英次著『近世の漁村』(1970・吉川弘文館)』

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