元来は、①の公務やその役をいったが、鎌倉時代後期には、③④のように幕府(将軍家)や朝廷をさすようになる一方、荘園・公領を支配する寺社本所・武家をおしなべて公方とよぶ習慣も同時に一般化する。これは、この語が国家的統治権の所在を指すようになったためであろうと思われる。室町時代になると、そのことがもっと明確化し、⑦⑧のように守護領主・荘園領主をも指すようになる。
平安中期の《源氏物語》《枕草子》などにみられる〈おおやけかた〉と同義で,1181年(養和1)8月の後白河院庁公文所問注記集(《東大寺文書》)に〈公方済物〉,1256年(康元1)8月の感神院政所下文案(《八坂神社文書》)に〈公方に訴え申す〉などとあるように,〈私〉の対語として公家,朝廷の方面をさす語であった。この用法は中世を通じても見られるが,鎌倉中期の1283年(弘安6)将軍家御教書(みぎようしよ)を〈公方御教書〉といったのを早い例として,将軍をさす言葉として用いられるようになった。これは北条氏の幕府内部での勢力が強大になり,得宗およびその御内人(みうちびと)と御家人との摩擦が強まる過程で,得宗や〈御内〉と将軍とを区別する意図で,多少とも意識的に使われた形跡があり,おそらく安達泰盛の関与があったものと推定される。しかしこののち,鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府を通じて将軍を公方と呼ぶ用法が定着し,さらに鎌倉府の足利基氏の子孫も関東公方,鎌倉公方,さらにその分裂後は古河公方,堀越公方といわれ,鎌倉から奥州に下ったその一族も稲村公方,篠川公方と呼ばれた。
一方これとは別に,鎌倉後期以降,荘園・公領の下地に対する寺社本所,あるいは地頭の一円支配が進行するとともに,そうした一円化した荘園・公領の支配者を公方と呼ぶ用例が急速に増加しはじめる。1329年(元徳1)12月10日の法印某書下(《醍醐寺文書》)に〈科料内財物に於ては,半分公方,四分一預所,残り四分一を以て自余の沙汰人に平均配分せしむ〉とあるのはその用例で,南北朝期以後の売券の罪科文言に〈公方に訴え申し〉とあるのや,室町・戦国期に本年貢を〈公方年貢〉といったのも,その流れをくむ用法である。罪科文言の公方は戦国期〈時の公方〉〈時の公方・地下(じげ)〉と変わっていく。これはかつての公方の裁判権の動揺・不安定化を示すとともに,〈私〉とされていた地下が公方と併存する立場に立つようになったことを物語る。
執筆者:網野 善彦
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中世に,将軍・幕府,天皇・朝廷,守護,荘園領主などを,それらに比較して私的とみなされるものと区別していう言葉。鎌倉後期,「御内(みうち)」に対して「公方」を用いる場合,(1)将軍個人をさし,得宗(とくそう)勢力に対し将軍がより上位にあることを示すため,安達泰盛の主導で使用されるようになったとする説と,(2)得宗をさし,幕府の公的側面に関与するようになった得宗が,その公的権限を行使する際に使用されるようになったとする説がある。室町時代には,将軍とともに鎌倉御所およびその後身である古河・堀越の御所も「公方」といい,近世では,将軍または将軍家をいった。
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公的権力の所有者をさすことば。「おおやけかた」ともいい、公家(くげ)の方、すなわち天皇、ひいては朝廷をいったが、鎌倉時代末期には、幕府の家人(けにん)が将軍を公方と敬称した。室町時代には将軍はもちろん、鎌倉御所や九州探題をも公方とよび、幕府そのものをも公方とよぶことがあった。江戸幕府ではもっぱら将軍を公方といい、幕府を公儀(こうぎ)と称した。5代将軍徳川綱吉(つなよし)が「犬(いぬ)公方」とよばれたことはよく知られている。このほか荘園(しょうえん)制のもとで、荘官や農民らは荘園領主をも公方と尊称していた。
[百瀬今朝雄]
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…しかし大田文に載せられた公田数を基準に,これらの一円領に一国平均の段銭を賦課,守護を通じて徴収させる室町幕府の体制はともあれここに軌道にのったのである。 一円領が形成されるころから,年貢を収取するその支配者は共通して公方(くぼう)とよばれるようになり,公方は荘務を掌握する預所に当たる所務職を補任,所務職保持者は現地での実務,地頭・守護との訴訟,交渉をその代官に請け負わせた。武家領でもすでに得宗(とくそう)領,北条氏所領は給主に与えられ,給主代が現地の政所で実務を行う体制がみられたが,それは足利氏所領から室町幕府,鎌倉公方の御料所にうけつがれ,御料所はその奉公衆に預け置かれたのである。…
…天役(天皇の課したもの)から点役(主君=領主の点定した役)への語句および語義の変化の内に,中世社会の展開を読みとることは容易であろう。公方が朝廷,将軍の意から,守護,荘園領主,個々の在地領主をも意味するようになっていく流れと同じである。新田義貞が,〈兵粮のためにとて近国の荘園に臨時の天役を掛け〉たように(《太平記》),以後守護の賦課した守護役も天役と称されるようになっていく。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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