築城郡(読み)ついきぐん

日本歴史地名大系 「築城郡」の解説

築城郡
ついきぐん

豊前国中央部に位置し、北から西は仲津なかつ郡、南は下毛しもげ郡、南東上毛こうげ郡に接し、北東周防灘に臨む。近世の郡域はおよそ現在の築上ちくじよう郡築城町・椎田しいだ町および豊前市の北西端に相当する。

〔古代〕

和名抄」諸本とも文字の異同はなく、元和古活字本は「豆伊岐」とするが、名博本は「ツクキ」、「延喜式」民部上は「ツキ」と訓ずる。「和名抄」の郷は綾幡あやはた桑田くわたついき大野おおのの四郷。郡内には築城駅(現築城町に比定)が置かれ、馬五疋を備えていた。角田すだ川・真如寺しんによじ川・極楽寺ごくらくじ川・岩丸いわまる川・城井きい川の下流域に沿う沖積地や河岸段丘上に、方位を異にする四ヵ所の条里遺構が確認されている。天平一二年(七四〇)八月に起きた藤原広嗣の乱に際し、追討軍側に兵七〇人とともに帰順した築城郡擬少領外大初位上佐伯豊石がいた(「続日本紀」同年九月二五日条)。郡内には宇佐宮領の本御庄一八ヵ所の一つとして、長元四年(一〇三一)に上毛・下毛・田川三郡に散在する御封田八五町余と交換するかたちで立券され、康平六年(一〇六三)八月に法華不断経料として五二町余を新加入田とした角田庄(現豊前市)がある。ほかに大宮司宇佐公順の私領として桑田郷伝法寺でんぽうじ赤幡あかはた(現築城町)広幡ひろはた(現椎田町)がある(以上「宇佐大鏡」)。このうち角田庄の四至は「東限大堺、南限山、西限上松、北限海」とあり、現在の角田川流域にあって、東は上毛郡の境まで広がっていたのではないか。広幡社は一〇町(または六町)を領田としていたが、平安末期には奈古なご庄に押領され、わずか一町となっていたという。奈古は現椎田しいだ町奈古周辺と考えられ、越路こいじ村と水原みずわら(ともに現椎田町)の境に広幡八幡があったという(太宰管内志)。赤幡社は社領六町で、元は大宰府領であったが、これも平安末期には桑田庄(桑田郷か)に押領されていた。保延七年(一一四一)豊前国司は当郡の公田五〇町を宇佐宮御供田として掠め取られたと大宰府に訴えたが、宇佐宮側は永承二年(一〇四七)に大宰帥藤原卿(大宰権帥藤原経通)が年中五箇度節句料として五町を寄進して以後代々の国司が五町ずつ寄進し、五〇町となったと主張している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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