上矢部村(読み)かみやべむら

日本歴史地名大系 「上矢部村」の解説

上矢部村
かみやべむら

[現在地名]戸塚区上矢部町・鳥が丘とりがおか

東から北は名瀬なぜ村、南は矢部やべ村と犬牙錯雑し、東南は下柏尾しもかしお村、西から北は岡津おかづ村に接する。東南を柏尾かしお川、中央を北西から南東阿久和あくわ川が流れる。大山道が下柏尾村から入り、阿久和川に沿って岡津村に通じる。名瀬川が名瀬村から流れて直ちに阿久和川に合する。

宝治元年(一二四七)六月二〇日の鎌倉将軍家藤原頼嗣寄進状(県史一)に「相模国谷部郷」とあり鎌倉鶴岡八幡宮に寄進されている。「鶴岡八幡宮寺供僧次第」によると、林東坊・実円坊・宝蔵坊・慈月坊慈薗院・永厳坊紹隆院の本料所あるいは供料所に「矢部」があてられている。


上矢部村
かみやべむら

[現在地名]相模原市上矢部・上矢部一―五丁目・淵野辺ふちのべ一―二丁目

北はさかい川を隔てて武蔵国多摩たま小山おやま村・上小山田かみおやまだ(現東京都町田市)に対し、西は小山村、東は淵野辺村、南は相模野で上矢部新田村に接する。北を東西に八王子道、その南を甲州道が通り、南北に江戸道が交差する。元亀三年(一五七二)一二月二〇日の北条家朱印状(県史三)無量光むりようこう寺に対して「矢部原」以下四原野の草木・萱の刈取りを許可している。小田原衆所領役帳に幸田右馬助寄子長沢・井出「廿貫文 東郡矢部鵜森」とある。「風土記稿」は元禄の改めの時に矢部村から上矢部村に改めたとし、もとは武蔵国多摩郡小山田村(現町田市)内であったが、境川流路変更により国境が改まった頃分村して高座こうざ郡に属したと推定する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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