日本歴史地名大系 「岡津村」の解説
岡津村
おかづむら
東は
文永七年(一二七〇)閏九月一〇日と同年一二月三日の関東裁許下知状(県史一)によると、「岡津郷」は源頼朝によって鎌倉鶴岡八幡宮の供僧給田と定められ、給田八町八反は当時の地頭甲斐為成の祖父の頃より地頭請所となり、為成は一五石で請負っていた。その後、供僧幸猷と為成の間で相論が起き九月の下知状では改めて請所が認められているが、一二月の下知状によって請所を停止し、作毛は年々の収穫量に従って百姓より、所当口米と員米は作人より幸猷のもとに直接納めるように決められた。
岡津村
おかつむら
- 静岡県:掛川市
- 岡津村
岡津村
おこづむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報