福岡県南端の市。2006年10月旧八女市が上陽(じようよう)町を編入して成立し,10年2月黒木(くろぎ)町,立花(たちばな)町,星野(ほしの)村,矢部(やべ)村を編入した。人口6万9057(2010)。
八女市中南部の旧町。熊本県境に位置し,旧八女郡所属。人口1万3615(2005)。町の大部分は古生層とそれをおおう標高500~900mの開析された溶岩台地からなる。中央を矢部川が町の東端の県営日向神(ひゆうがみ)ダムを経て西流し,西部で笠原川などと合流して盆地状の低地を形成する。中世には黒木氏が城を築いて支配し,天正期(1573-92)の廃城後も谷口の市場町として栄えた。町域の65%を占める山林を背景に製材業が盛んであるが,主産業は農業で米のほか茶,ミカンの栽培が行われる。町の中央には八女郡の機関が集まっていた。樹齢700年の黒木大フジ(天)をはじめ,猫尾城跡,八女茶発祥地と伝える奇岩で有名な霊巌寺など名所が多い。
八女市北部の旧町。旧八女郡所属。1958年北川内(きたがわち)町と横山村が合体,改称。人口3867(2005)。北は久留米市に接する。北部は耳納(みのう)山地が帯状に連なり,横山川,木浦川,星野川が中心集落の北川内付近で合流する。農林業が主産業で,特産の上陽茶は八女茶の中でも高品質の茶として有名。シイタケは県内有数の生産地であり,たけのこ栽培も盛ん。町域の80%が林野で,耳納山地一帯は杉,ヒノキの宝庫である。またクヌギ林も多い。星野川は釣りの名所で,ゲンジボタルが生息する。
八女市南西部の旧町。旧八女郡所属。人口1万1662(2005)。筑紫平野の南縁,筑肥山地の北西部に位置し,北は旧八女市,南は熊本県に接する。北端を流れる矢部川中流南岸の低地を除くと,標高400m前後の筑肥山地が大部分を占める。主産業は農業で,米,麦のほかミカン,キーウィフルーツ,たけのこの栽培が盛ん。特にミカンは県内生産量の3割強を占め,県下最大の産地である。たけのこも多産し,缶詰工場がある。中央部にある飛形(とびかた)山は山頂からの眺望に優れる。国道3号線が通る。
八女市北東部の旧村。旧八女郡所属。人口3554(2005)。矢部川の支流星野川の上流域に広がる開析された溶岩台地を占める。かつては生葉(いくは)郡に属し,この地を領した星野氏は13世紀末に採掘が始められた星野金山によって栄えた。金山は大正期に最盛期を迎えたが,1943年閉山した。杉,ヒノキの良材を産し,八女林業の中心地である。農業では〈星野玉露〉に代表される八女茶,花木,高冷地トマト,シイタケも栽培する。十籠(じゆうごもり),麻生には江戸時代に星野焼の窯があり,葉茶壺などを焼いた。麻生神社では9月18日に風流(ふりゆう)のはんや舞が奉納される。旧八女市からバスの便がある。
八女市南東部の旧村。旧八女郡所属。人口1613(2005)。東は釈迦ヶ岳(1231m)などの山々を境に大分県に,南は国見山(1018m)を境に熊本県に接する。中央部を矢部川が北西流し,その最上流域にあたる。山林が村域の90%近くを占め,林業が基幹産業となっている。特に杉の植林がすすめられ,挿木造林地として広く知られる。高冷地の特性を生かして花木,抑制野菜の栽培が盛んで,茶,ワサビなどの特産もある。八女という地名の起源という八女津媛(やめつひめ)を祭る神社や南北朝時代の征西将軍良成(よしなり)親王の陵墓がある。奇岩と絶壁の多い日向神(ひゆうがみ)渓と日向神ダムは矢部川県立自然公園に属する。
執筆者:松橋 公治
八女市北西部の旧市。1954年市制。人口3万8951(2005)。筑紫平野東部に位置し,矢部川中流の扇状地を占める。中心市街の福島は1587年(天正15)豊臣秀吉より上妻郡を与えられた筑紫広門が城を構えた地であった。1620年(元和6)の廃城後も市場町として栄えた。現在も八女地方の政治・経済・交通の中心地で,国道3号線,九州自動車道が通じる。
水田と畑を合わせた耕地が市域の6割を占める田園都市で,八女茶の名で全国に知られる茶をはじめ,電照菊,果樹の栽培や畜産など多角的な集約農業と,仏壇,提灯,和紙,石灯籠などの江戸時代からの伝統工業が盛んである。北部の丘陵一帯に筑紫君磐井(つくしのきみいわい)の墓といわれる岩戸山古墳や装飾古墳の乗馬(のりば)古墳など多数の古墳が分布する八女古墳群(史)がある。秋の彼岸中日の前後に公演される福島灯籠人形は,江戸期から伝承されてきた屋台操りの郷土芸能で,国の重要無形民俗文化財。福島城跡一帯は八女公園となっており,その一角には旧八女市にアトリエを構えた画家坂本繁二郎の銅像がたつ。
執筆者:土井 仙吉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
福岡県南部にある市。1954年(昭和29)福島町が川崎、忠見(ただみ)の2村と岡山村の一部を編入、市制施行と同時に八女市と改称。2006年(平成18)、八女郡上陽町(じょうようまち)を編入し、2010年、同郡黒木町(くろぎまち)、立花町(たちばなまち)、矢部村(やべむら)、星野村(ほしのむら)の2町2村を編入。北部に耳納山地(みのうさんち)の山々、東部の大分県境には御前(ごぜん)岳(1209メートル)、釈迦(しゃか)岳(1231メートル)など、南部の熊本県境には三国(みくに)山(994メートル)をはじめとする筑肥山地(ちくひさんち)の連山がそびえる。東部に発した矢部川、その支流星野川が西に流れ、中央部西寄りで合流、合流地の下流部に発達した扇状地に中心市街が形成されている。南北に通じる国道3号と、東西に走る442号が幹線道路で、西端に九州自動車道八女インターチェンジがある。中心集落の福島は江戸時代、城下町起源の市場町として栄え、現在でも八女地方の中心である。江戸時代初期の町人地は、後に在郷町として発展し、現在でも当時の町割や江戸時代末期に普及した塗屋造の主屋を残している。これらの町並は2002年(平成14)に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。星野地区では天文年間(1532~1555)に金山が発見され、大正年間に最盛期を迎えたが、第二次世界大戦後に閉山となった。主産業は農林業で、米のほか、ナシ、ブドウ、イチゴ、キウイフルーツ、トマト、茶、花卉(かき)などを産し、スギ、ヒノキ材や竹材も特産である。矢部川中流域の丘陵は県営パイロット茶園などの茶畑が広がる八女茶生産の中心地で、忠見は日本有数の電照ギク産地でもある。農家の副業的伝統産業も盛んで、福島の仏壇・提灯(ちょうちん)(国指定伝統的工芸品)、長野の石灯籠(どうろう)、柳瀬(やなぜ)の手漉(す)き和紙などが有名である。磐井の墓(いわいのはか)と伝えられる岩戸山古墳(いわとやまこふん)をはじめ、同じく八女古墳群として国指定史跡となっている乗場古墳(のりばこふん)、茶臼塚古墳(ちゃうすづかこふん)、丸山塚古墳(まるやまづかこふん)、丸山古墳の各古墳があり、それら古墳から出土した石人・石盾(せきじゅん)などの国重要文化財が岩戸山歴史文化交流館に展示されている。福島城跡の八女公園、八女地方の伝統工芸や文化財を紹介する八女伝統工芸館などがあり、福島八幡宮の灯籠人形は国指定の重要無形民俗文化財である。1960年(昭和35)、矢部川に日向神ダム(ひゅうがみだむ)が竣工し、日向神峡などの景勝地はその趣を一変させたが、ダム周辺はサクラの名所として知られ、矢部川県立自然公園の中核的な観光地となっている。星野地区では大正年間頃より玉露の生産が本格化、八女星野玉露として名を馳せた。面積482.44平方キロメートル、人口6万0608(2020)。
[石黒正紀]
『『八女市史』全3巻(1992・八女市)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…《和名抄》には田1万2800余町とある。 景行天皇巡狩伝承には御木(みけ)国(大牟田市,三池郡),八女(やめ)国(八女市,郡),的邑(いくはのむら)(浮羽郡)などの名が見え,山門地方を邪馬台国の地に比定する説は有名である。5~6世紀ごろは八女地方を本拠とする筑紫君が国造として支配したが,527年の磐井(いわい)の乱後はしだいに没落した。…
※「八女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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