下小菅村(読み)しもこすげむら

日本歴史地名大系 「下小菅村」の解説

下小菅村
しもこすげむら

[現在地名]米沢市下小菅

一漆ひとつうるし村の西に位置し、鬼面おもの川扇状地南西平地と西方を限る山地山麓立地。戦国期には上長井に属する小菅郷で、近世初期に小菅郷から上下の小菅村に分村して成立。縄文時代の集落跡の下小菅遺跡がある。

永正一六年(一五一九)一〇月九日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)によると、卯花対馬守よりの買地である上長井小菅郷のうち年貢一貫二〇〇文の「たきれ橋在家」と年貢一貫六〇〇文の平内在家を卯花藤兵衛尉に安堵している。天文七年(一五三八)の段銭古帳によれば、「こすけ」から五三貫三二五文を上納、うち三貫文は中館へ納めた。同二二年の晴宗公采地下賜録によれば小菅のうちで、勾当が宮崎伊予からの買地「やなきた」一千刈、浜田大和が卯花藤兵衛分の「山くち在家」「たきれはし在家」「猿こ在家」「ミやさひけ」「平内さいけ」、中野常陸介が草刈因幡よりの買地「猿こ在家」、中館分「たくミ在家」「川内在家」「くつかた在家」、峯七郎左衛門よりの買地「江あひ」一千刈、峰刑部がささき五郎兵衛分「あさミ在け」一軒、「くさかり在け」一軒、片倉伊賀守が「たての在け」「かミからうち在け」「ハら在け」「とうち在け」および切田五〇〇刈、佐藤備中が「大田在け」を残さず、小々高大炊助が御代田周防分「たうしう在け」「たつ田在け」および棟役田銭、宮崎下総がとうせんじ分の全部と富塚近江分全部、山崎彦兵衛が遠藤監物分「とうけん在家」、樋口十郎右衛門が「寺内在家」一軒、中村刑部少輔が市川信濃の屋敷と手作、富田主計が在家一軒、岩崎太郎兵衛が市川筑後分三軒をそれぞれ安堵ないしは与えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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