下御霊神社(読み)しもごりようじんじや

日本歴史地名大系 「下御霊神社」の解説

下御霊神社
しもごりようじんじや

[現在地名]中京区下御霊前町

丸太町まるたまち通の南、寺町てらまち通に西面して鳥居拝殿本殿が並ぶ。祭神宇賀御霊うかのみたま大神(八所御霊ともいう)。「山州名跡志」は「在京極通大御門北東方、門西向、拝殿同、社同。当社始メ新町近衛南ニアリ、今尚云御霊町。神輿一基」と記す。もと下御霊神社は一条の北、京極きようごくの東にあった下出雲しもいずも(現京都市上京区)鎮守として仁明天皇創建と伝え、のちに新町近衛しんまちこのえ(現同区)の地に移された。この時の社殿は、応永三四年(一四二七)七月足利将軍義持の寄進と伝える(後鑑)。「薩戒記」応永三二年一月二二日条に「参詣下御霊」と記し、また「親長卿記」文明三年(一四七一)六月一四日条にも「参五霊殿談義」と記す。「言継卿記」永禄一一年(一五六八)八月一六日条に「下御霊之祭之喧嘩故、今朝二条室町一町在方、放火云々、同祭礼有之」とあり、中世後期の下御霊神社の賑いぶりがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の下御霊神社の言及

【御霊会】より

…このため政権の座にあった藤原氏が中心となり,京中の民が参加して御霊会を営み,社会不安を一掃しようとした。この御霊会はおもに疫病の流行にともなって,平安時代の初期に成立し,京都市上京区の上御霊神社,京都市中京区の下御霊神社をはじめ,菅原道真をまつる北野神社(北野天満宮)の御霊会や八坂神社の祇園御霊会(祇園祭)など,都を中心にさまざまの御霊会が始められ隆盛をみた。これらの祭礼は神輿渡御などの行列や芸能があり,風流(ふりゆう)とよばれる仮装踊が行われることが多く,その時期も,疫病が流行する旧暦5月から8月の間が最も多い。…

※「下御霊神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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