下村為山(読み)シモムラ イザン

20世紀日本人名事典 「下村為山」の解説

下村 為山
シモムラ イザン

明治〜昭和期の俳画家,俳人



生年
慶応1年5月21日(1865年)

没年
昭和24(1949)年7月10日

出生地
伊予国松山(愛媛県)

本名
下村 純孝

別名
別号=百歩,牛伴

経歴
上京して洋画小山正太郎に学び、不同舎塾の後輩に中村不折がいる。のち日本画を久保田米遷に学び、俳画に一家をなした。明治22年内国勧業博覧会で受賞。俳句正岡子規に師事し、洋画写生の優越姓を不折に先立って子規に説いたと伝えられる。27年松山に日本派俳句会の松風会を興し、日本派の俳人として活躍、句風は子規に「精微」と評された。30年松山版「ホトトギス」創刊時に初号の題字を書いたといわれる。その後も東京発行の「ホトトギス」や「新俳句」に表紙・挿画などを寄せ、同派に貢献した。句は「俳句二葉集」「春夏秋冬」などに見られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下村為山」の解説

下村為山 しもむら-いざん

1865-1949 明治-昭和時代の画家,俳人。
慶応元年5月21日生まれ。明治15年上京して本多錦吉郎,小山正太郎に洋画をまなび,正岡子規と知りあって俳句を研究。俳画家として知られた。昭和24年7月10日死去。85歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。名は純孝。別号に雀廬,冬邨など。作品に「慈悲者之殺生図」など。
格言など】俳句は日本特有の文芸,俳画もまた日本芸術上の光(俳画家へ転身のとき)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「下村為山」の解説

下村 為山 (しもむら いざん)

生年月日:1865年5月21日
画家;俳人
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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