日本歴史地名大系 「下松本村」の解説 下松本村しもまつもとむら 岩手県:紫波郡紫波町下松本村[現在地名]紫波町下松本東根(あずまね)山麓東方の平坦地に位置。東は太田(おおた)村(現矢巾町)、西は吉水(よしみず)村、南は宮手(みやで)村、北は小屋敷(こやしき)村・南伝法寺(みなみでんぽうじ)村。正保国絵図では、上松本村とともに松本村として村名がみえるが、「雑書」正保四年(一六四七)七月九日条には「下松本村之肝煎助次郎」とあり、この頃実質的にはすでに上下に分村していたものと考えられる。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付には下松本村とみえ、蔵入高四三六石余、七ヵ年平均の免五ツ二分四厘九毛。元禄十郡郷帳では再び松本村で高付されている。元文三年(一七三八)の給人書上によれば、中野甚之丞・岩井三次郎の知行地があった。 下松本村しもまつもとむら 福島県:岩瀬郡天栄村下松本村[現在地名]天栄村下松本白子(しろこ)村の西、釈迦堂(しやかどう)川上流域の丘陵に立地。高林(たかはやし)村から牧之内(まきのうち)村へ通じる街道に沿う。天正一七年(一五八九)一一月二二日の伊達政宗充行状写(伊達家文書)に「下松本やたの抱之通、百七十五貫文之所」とみえ、白子と同様保土原行藤に宛行われている。同一八年の検地目録(天栄村史)には「松本村」とみえ、一〇九貫余・米六〇三石余。 下松本村しもまつもとむら 静岡県:三島市下松本村[現在地名]三島市松本上松本村の南に位置する。北条氏所領役帳に「豆州下松本」とみえ、河越衆の菊池掃部丞が五〇貫文の所領を与えられていた。元禄郷帳によると高一六九石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by