下橋敬長(読み)シモハシ ユキオサ

20世紀日本人名事典 「下橋敬長」の解説

下橋 敬長
シモハシ ユキオサ

江戸時代末期・明治期の有職故実家 京都御所殿部



生年
弘化2年5月16日(1845年)

没年
大正13(1924)年7月4日

出生地
京都

経歴
代々、朝廷の臣である一条家侍の家柄。12歳より御側出仕、のち装束召具方を務め、高倉流故実を修めた。慶応3年(1867年)祖父の死により家督を継承。維新後も京都に留まり、皇学所監察助勤・御陵衛士などを経て京都御所に勤め、殿丁・仕人・殿部などを歴任した。有職故実、特に朝廷行事や公家の家格先例に精通し、加茂・石清水・春日の三祭に奉仕するなど、祭祀宮廷公事で活躍。英照皇太后・明治天皇・照憲皇太后の大喪儀の際にも供奉した。また青蓮院の坊官進藤千尋とともに皇陵の調査にも従事。他方、京都桜橋財団や平安議会の評議員も務めた。大正11年以降は藤波言忠や猪熊信男の推薦を受け、図書寮・国学院大学・慶応義塾大学・史料編纂掛・明治神宮奉賀会などで幕末維新期の宮廷生活に関する講演を行った。岡本保誠門下の書家、佐々木允明門下の歌人としても知られ、国学にも明るい。講演記録に「幕末の宮廷」「京都の故事について」「維新前の宮廷生活」、歌集に「涼月集」、編書に「地下官人家伝」などがある」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下橋敬長」の解説

下橋敬長 しもはし-ゆきおさ

1845-1924 幕末-明治時代の故実家。
弘化(こうか)2年5月16日生まれ。安政3年(1856)家職をついで一条家御側出仕となり,朝廷の装束召具方をつとめ,高倉流故実をおさめる。慶応3年一条家侍(さむらい)。維新後,京都御所の殿部などをつとめた。宮廷の公事(くじ)を講演し,「幕末の宮廷」「京都の故事について」にのこした。大正13年7月4日死去。80歳。京都出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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