平安中期以降に現れた、中央官制における特定の「家(いえ)」(家系)による特定官職の世襲的請負制度の観念。10世紀以降、律令国家における官司の再編成が進み、技能や学術面の特定の官職に特定の「家」の出身者が世襲的に就任する傾向が強まった。史料上にも礼家(れいけ)、薬家(やくけ)、法家(ほうけ)、経家(きょうけ)、暦家(れきけ)などがみられ、家学として算道に通じた小槻(おづき)氏は太政官弁官局(べんかんきょく)の主宰を世襲して官務家(かんむけ)と呼ばれるようになり、また明経道(みょうぎょうどう)に通じた中原氏・清原氏が外記(げき)局に世襲的に就くようになる。こうした業務の独占的世襲(官司請負(かんしうけおい))は中央官制の変質を余儀なくさせ、官司は個々に分離独立して完結的に業務を行い、その業務と収益が不可分に結びつけられる官庁運営方式を生み出した。また武門の棟梁としての武家も、こうした流れの中で軍事警察力を分担する武芸の家としての役割を負ったものと考えられている。
[木内正広]
『佐藤進一著『日本の中世国家』(2007・岩波現代文庫)』
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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