下渡村(読み)げどむら

日本歴史地名大系 「下渡村」の解説

下渡村
げどむら

[現在地名]村上市下渡

三面(みおもて)川右岸、下渡山(二三七・八メートル)の南麓にある。西は羽下(はげ)ヶ淵(ふち)村、南は村域を囲繞して日本海に注ぐ三面川を隔てて村上町に接する。天文一〇年(一五四一)と推定される七月二六日付の鮎川長憲等四名連署状(色部氏文書)に「下渡嶋」とみえる。この頃当所に拠る本庄家中の者が離反を企てる事件があった(同年一二月二五日「色部勝長書状案」同文書など)。同一五年三月二四日の本庄千代猪丸(繁長カ)宛行状写(飯沼文書)によれば、先年「下渡ケ嶋」の地を家臣某に与えたが、手違いがあったとして改めて替地二貫分等を宛行っている。永禄一一年(一五六八)上杉輝虎は直江景綱らに書状(歴代古案)を送り、武田信玄の動向に備え、とくに下渡島(げどがしま)を堅固に守るよう命じている。


下渡村
しもわたりむら

[現在地名]岡崎市渡(わたり)町

かつて矢作川が幾筋にも流れていた頃形成された低い自然堤防上に位置する。北は上渡村、東は左岸の赤渋(あかしぶ)村、南から西は東牧内(ひがしまきうち)村である。中世には通称鎌倉街道が村の北境を通る交通の要地。慶長一〇年(一六〇五)の矢作川改修により中世の渡河地点がこの地へ南下し、対岸の赤渋村との間に渡船が開かれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

アジア諸国の友好と平和促進とを目的としたスポーツ大会。第1回は1951年にインドで開催。原則としてオリンピックの中間年に行われる。主催はアジア‐オリンピック評議会。→アジア冬季競技大会...

アジア競技大会の用語解説を読む