日本歴史地名大系 「三面川」の解説
三面川
みおもてがわ
- 新潟県:村上市
- 三面川
山形県境の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
山形県境の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
新潟県北東部,村上市の中央部を東から西へ流れ日本海に注ぐ川。幹川流路延長41km,流域面積664km2。新潟・山形県境の朝日山地の寒江(かんこう)山(1695m)の西斜面に源を発し,末沢川,猿田川を合わせ,村上市布部で三面盆地に流下する。高根川,門前川を合わせ,越後平野最北端の平たん地をつくり,村上市瀬波で日本海に注ぐ。第2次大戦後,県によって三面川総合開発計画が立案され,1953年上流の朝日村(現,村上市)岩崩に多目的の三面ダムが建設された。2001年には三面ダム上流に奥三面ダムが竣工した。
執筆者:佐藤 裕治
648年(大化4)大化改新政府が日本海側統治のため,渟足柵(ぬたりのさく)に次いで設けた磐舟柵(いわふねのさく)の所在地は三面川南部とみられ,いわば当時の大和朝廷支配の北限であった。古代では瀬波川とも呼ばれ,平安後期にはこの流域に越後城氏の勢力がのび,中御門家を本所とする小泉荘が立荘された。瀬波川はこのころ国領とされたが,荘家の侵略を受けしだいに小泉荘にとりこまれたとみられる。三面川は古くからサケ,アユなど川魚の宝庫で,中世から近世にかけて,流域の河内神社の成立を物語る雲上公(くものうえこう)伝説があり,川漁,河水交通,土地の信仰・習俗などを伝えている。江戸時代には,サケが村上藩財政の一部として重視され,〈種川〉と称する増殖法が講じられた。明治以後は旧藩士にサケ漁がひきつがれ,1878年には人工孵化事業を開始した。サケ漁の収益は旧藩士の育英資金にもあてられ,この学資で育った人を〈鮭の子〉と呼んだ。第2次大戦後は漁業組合に改組し,一時減った漁獲高も,一括採捕と人工孵化事業の成功により,盛況をとり戻しつつある。
→三面
執筆者:阿部 洋輔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
新潟県北部、村上市の東部から南西へ、市域をほぼ横切って流れる川。源を山形県境の磐梯(ばんだい)朝日国立公園の西朝日岳(1814メートル)に発し、上流は猿田(さるた)・末沢(すえざわ)の二支流に分かれ、盆地底で高根(たかね)・門前(もんぜん)川を合流して、村上市の瀬波(せなみ)で日本海に注ぐ。延長49.1キロメートル。古くから鮭川(さけがわ)の名でよばれ、サケ漁が盛ん。近世、村上藩はサケの種川(たねがわ)育成に努め、サケ漁の運上金は藩の主要財源をなし、藩士の教育資金に使われた。現在も、竹簀(たけす)によりサケを一括採捕する種川方式や、孵化(ふか)場が残され、川サケの塩引きは村上市の名物になっている。第二次世界大戦後は、上流の岩崩(いわくずれ)に三面ダムが築かれ、県営三面、猿田の二発電所がある。最上流の奥三面集落は平家の落人(おちゅうど)伝説で知られた隔絶山村であったがいまは全村下山、ダム交通の開発で、またぎ習俗を伝える観光地に変わった。
[山崎久雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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