下田菊太郎(読み)シモダ キクタロウ

20世紀日本人名事典 「下田菊太郎」の解説

下田 菊太郎
シモダ キクタロウ

明治・大正期の建築



生年
慶応2年5月2日(1866年)

没年
昭和6(1931)年12月26日

出生地
秋田県仙北郡角館

学歴〔年〕
工部大学校(現・東大工学部)建築科中退

経歴
明治22年渡米してシカゴの設計事務所に勤務、鉄骨鉄筋コンクリートの建築技術を習得。31年帰国後、建築事務所を開設し、F.L.ライトと旧帝国ホテルの設計を競うなど、実務に携わる。帝国議会の議院建築に対して、日本独自の“帝冠様式”を提唱したことで知られる。著書に「思想と建築」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下田菊太郎」の解説

下田菊太郎 しもだ-きくたろう

1866-1931 明治-昭和時代前期の建築家。
慶応2年5月2日生まれ。シカゴで洋式建築をまなび,帰国後,設計事務所をひらく。大正8年国会議事堂建築設計競技の入選案に対し,洋式建築に日本式の屋根をかぶせる「帝冠併合式」を主張。国粋主義的風潮のなかで「帝冠様式」とよばれる建築を生みだすもととなった。昭和6年12月26日死去。66歳。出羽(でわ)角館(かくのだて)(秋田県)出身。帝国大学中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「下田菊太郎」の解説

下田 菊太郎 (しもだ きくたろう)

生年月日:1866年5月2日
明治時代;大正時代の建築家
1931年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の下田菊太郎の言及

【国会議事堂】より

…以後1897,1907年と本建築化が浮上したが財政事情などから頓挫し,現議事堂への動きは17年に始まった。19年設計競技により図案が募られたが,当選案の様式が新旧各層の反発を呼び,とくに下田菊太郎は議会に働きかけて〈帝冠併合式〉(欧風の壁体に和風屋根を載せる)の採用を請願し賛意を得た。設計は大蔵省内部で進められ20年に着工,36年に竣工した。…

※「下田菊太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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