下稲田村
しもいなだむら
[現在地名]笠間市稲田
鍬柄山東麓にあり、北は飯塚村、南は上稲田村。中世は笠間氏の支配下にあり、嘉元大田文に東郡として「稲田八丁六十歩」とあるが、のち上下に分村した。江戸時代は笠間藩領で、「寛文朱印留」に村名が載る。茨城郡山内南郷村差出帳(石井家文書)によると慶安二年(一六四九)の検地で村高七三六・〇七一石となり、寛文八年(一六六八)・延宝四年(一六七六)の新開検地で合せて二九石余を打出す。
下稲田村
しもいなだむら
[現在地名]上越市下稲田・稲田二―三丁目
関川東岸の村で、北は赤塚新田。村の東部を大道用水が縦断、子安用水も流れる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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