20世紀日本人名事典 「不二門智光」の解説 不二門 智光フジモン チコウ 明治・大正期の僧侶 比叡山延暦寺第244世座主;天台宗大僧正。 生年天保12年(1841年) 没年大正7(1918)年4月11日 出身地因幡国鳥取(鳥取県) 本名須村 経歴因幡鳥取の大雲院・光譲大僧都に従って得度し、天台宗の僧となる。宋の碩学について法戒を受け、大僧正となり、已講、探題、宗機顧問の要職に就く。また天台宗西部大学・尋常中学校校長として教育にも尽くした。明治12年因州・吉祥院を創し、29年徳源院中理教寺を再設して観音寺と改称し、30年勉学寮を復建するなど因幡の諸寺を中興する。比叡山延暦寺に住し、44年第244世天台座主となる。宗教公共のために貢献した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「不二門智光」の解説 不二門智光 ふじもん-ちこう 1841-1918 明治-大正時代の僧。天保(てんぽう)12年生まれ。因幡(いなば)(鳥取県)の人。光範にまなび,因幡の諸寺を中興。明治44年天台座主(ざす)。また天台宗西部大中学校長として教育にもつくした。大正7年4月11日死去。78歳。俗姓は須村。号は正覚院,阿弥陀院。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by