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不干渉政策 ふかんしょうせいさくpolicy of non-intervention

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

不干渉政策
ふかんしょうせいさく
policy of non-intervention

他国の内政に干渉しないことを標榜する政策。内政不干渉は現代国際法の基本原則の一つ。 18世紀末フランス革命を契機に新興市民階級によって提起された。しかしナポレオン戦争の頃にはフランス側,神聖同盟側いずれも互いに「正統主義」を旗印に他国への干渉を実践した。その後アメリカ合衆国はヨーロッパ諸国のラテンアメリカへの干渉を阻止しようとしてモンロー主義を唱えたが,20世紀に入ると逆にラテンアメリカに対する合衆国の干渉を正当化する口実となった。 1936年スペイン内乱の勃発に伴い,イギリス,フランスは不干渉政策を提唱して,ロンドンに不干渉委員会を設け,ソ連も国家外交のレベルでは不干渉政策を採用した。しかし,ドイツ,イタリア側の反乱軍に対する援助は放任され,客観的には政府側の敗北を促進することになった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

不干渉政策
ふかんしょうせいさく
Non-intervention policy

スペイン内戦に際して、イギリス、フランスなどのとった政策。1936年7月17日、モロッコでの反乱軍の蜂起(ほうき)によってスペイン内戦が勃発(ぼっぱつ)すると、ナチス・ドイツとファシスト・イタリアはただちに反乱軍側への軍事援助を開始した。それに対し、スペイン政府の援助要請を受けたイギリス、フランス両政府は、スペイン内戦にいっさいの干渉を行わないという不干渉の立場をとり、36年9月、24か国による不干渉委員会をロンドンで発足させた。これにはドイツ、イタリアも加わっていたが、両国は反乱軍援助をやめず、不干渉政策はスペイン政府側に一方的に不利な状況を生んだ。不干渉委員会による陸上、海上での違反監視策がようやく実施されることになった37年3月までには、ドイツ、イタリアの反乱軍援助はきわめて大規模になっており、また監視策そのものも不完全なものにとどまった。この状況下で、やはり当初から不干渉委員会に加わっていた当時のソ連が、1936年12月、不干渉政策を批判してスペイン政府側への援助を開始したものの、その規模はドイツ、イタリア側に比べてはるかに小さく、不干渉政策のもたらしたスペイン政府側の窮境を救うに至らなかった。イギリス、フランス政府が不干渉政策をとった背景には、両国の右派勢力がスペインの人民戦線政府に抱いていた政治的反感が存在していた。同じ人民戦線政府であったフランス政府も、国内の右派勢力の攻撃とイギリスとの疎隔を恐れた結果、不干渉政策に固執し続けた。[木畑洋一]
『H・トマス著、都築忠七訳『スペイン市民戦争I』(1963・みすず書房) ▽斉藤孝編『スペイン内戦史の研究』(1979・中央公論社) ▽J・ギブス著、川成洋訳『スペイン戦争』(1981・れんが書房新社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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