中世大学モデル(読み)ちゅうせいだいがくモデル

大学事典 「中世大学モデル」の解説

中世大学モデル
ちゅうせいだいがくモデル

中世大学類型

中世大学の類型は,その成立形態によって自生型,派生型,設立型の3類型に分けられる。このうち自生型が中世的特徴を最も良く示すものとされ,一般的に大学の中世モデルとされるのはこの自生型である。

 自生型中世大学の典型ボローニャ大学イタリア)とパリ大学(フランス)で,いずれも12世紀末から13世紀初期にかけて学生や教師の自治団体として自然発生的に出現した。その出現要因は,古代文化の再生,中世都市の誕生などの文化的・社会的・経済的要因に求められる。ボローニャの場合,ローマ法を復興させたイルネリウスなどの法学者のもとにヨーロッパ各地から学生が参集し,出身地ごとの互助組合である国民団を形成した。この国民団がアルプス以北と以南に分かれて連合することで二つの自治団体ウニヴェルシタスが形成された。この団体からは法学生以外の学生は排除されていたが,やがて教養諸学と医学の学生が別のウニヴェルシタスを形成した。教師は学位授与を主目的とした団体コレギウムを形成した。パリでは,司教座と関係したアベラールなどのもとに神学を学ぶ学生が参集し,まず教師たちが団体化しはじめ,やがて学生を含む「教師と学生のウニヴェルシタス」が形成された。このウニヴェルシタスは,13世紀半ば頃から神学,法学,医学,教養諸学の四つのファクルタスに編成された。教養諸学は下級の準備学部(下級学部),他の三つは上級学部とされたが,教養諸学部が最も大きく,ボローニャと同様の国民団に分かれていた。したがって,ボローニャは世俗の組織,パリは「教会の組織」として自生的に出現したものであり,年祭を祝う必要から特定の年代が創立年とされることがあるが,厳密な創立年は存在しない。

[自生型大学]

この自生型の2大母胎大学は,ボローニャが法学の学生中心の世俗組織,パリが神学の教師中心の「教会組織」という相違点を持ちながらも,以下のような中世大学としての共通点を持つ。

(1)自治団体性(中世大学) ボローニャでは学生が,パリでは教師と学生が形成したウニヴェルシタスは,独立した法人として認められた自治団体であり,独自の規約と法人として必要な役職者を持った。そして,教会や都市に対抗する裁判権や,課税免除などの諸特権を持っていた。そのため,しばしば大学は都市権力や地方の司教権と対立して他都市に退去し,そこに新しい大学を誕生させた。少なくとも近世以降に大学が国家権力下に組み込まれるまでは,大学の自治権はこの法人団体としての自治権に由来した。

(2)国際性と普遍性 二つの母胎大学には,ヨーロッパのあらゆる地域から学生と教師が参集し,彼らによって国際性がもたらされたが,その国際性は普遍権力を背景にそこで授与された学位があらゆる地域で有効な普遍性を持ったことに由来する。しかし,この学生・教師の国際性と学位の普遍的有効性も,14世紀以降に次第に他都市での勉学を禁じる政策が各地に出現しはじめて消滅していき,中世大学は徐々に地方化・国家化していく。

(3)教育方法 教育方法もまた,多少の相違はあるものの一般的な共通性を持った。専門分野ごとではなく,著名なテキストに応じて作成されたカリキュラムに従って,授業はテキストを読んで注解する「講義」,学生と教師の「討論」,特定の論題についての「論法討論」「自由討論」などによっておこなわれ,より重要と位置づけられた正講義と副次的位置づけにあった副講義,祭日講義などに分けられていた。

(4)教師の職階構造 おおむね正講義の担当者が正教授(ordinarius),副講義の担当者は副教授(straordinarius=extraordinarius)とされ,ほかに自由講師がいた。彼らは学生の支払う授業料(コレクタ)に依存していたが,著名教授に対しては都市が給与を支給した。このような基本的な職階構造は,イタリアやドイツなどの国では最近に至るまで受け継がれ,正教授支配の起源となった。

(5)試験と学位制度 学科ごとに定められた年数の勉学を前提に,私的試験を受けて教授免許(リケンティア)を取得し,その後公的試験を受けてドクター(ドクトル)学位を取得した。ドクター学位取得者にはその学科を「教授」することが認められた。その意味で,ドクター学位は当初「教職の学位」であったが,やがてその分野の専門職資格を意味するようになった。また,リケンティア取得前にバカラリウスとなる場合もあった。当初,教養諸学の学位はマギステル学位と称し,法学や神学のドクトル学位と区別された。これらの学位授与権こそが今日に至るまで大学が一貫して行使してきた最大の機能と特権であった。

 この2大母胎大学以外では,モンペリエ大学サレルノ大学も医科大学を中心とした自生型大学とされ,イギリスのオックスフォード大学も,ボローニャ大学やパリ大学に並ぶ自生的な大学として出現し,ケンブリッジ大学を派生させたが,パリの影響を強く受けるとともにコレギウム(学寮)を広めていった。これが15世紀以後は教育機能を伴うカレッジ・システムへと独自に発展していった。

[派生型大学,設立型大学]

ケンブリッジのような,自生型大学から教師や学生が移動することによって出現した派生型大学は,ボローニャ大学から派生したパドヴァ大学,パリ大学からのオルレアン大学など多数に上る。ただ,派生以前の段階から高等教育機関が存在した場合もあり,必ずしも自生型と明確に区別できるわけではない。自治団体性などを特徴とする自生型に対して,当初より普遍権力が設立したのが神聖ローマ皇帝によるナポリ大学とプラハ大学,教皇によるトゥールーズ大学である。ことにナポリ大学(イタリア)は,フリードリヒ2世がボローニャ大学に対抗して設立し,大学団組織は採用したものの完全に国家統制下に置かれた最初の国家創設型大学である。徐々にこれらの普遍権力が大学を設立ないし認可する権限を持つと考えられるようになっていったため,イベリア半島では,王権がボローニャ型をモデルとしたサラマンカ大学などを設立したが,ストゥディウム・ゲネラーレとは認められなかった。また,14,15世紀にはイタリアやフランスだけでなく,ドイツにもパリ型をモデルとした多くの領邦立大学が創設されるが,その多くは形式的にせよ皇帝ないし教皇から設立認可を得ることとなった。現在のドイツで最も古い大学であるハイデルベルク大学(ドイツ)は,プファルツ選帝侯ループレヒト1世がローマ教皇の認可を得て1386年に設立された。
著者: 児玉善仁

参考文献: 児玉善仁『イタリアの中世大学―その成立と変容』名古屋大学出版会,2007.

参考文献: 児玉善仁「起源としての大学概念」,別府昭郎編『〈大学〉再考―概念の受容と展開』知泉書館,2011.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

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