イルネリウス(その他表記)Irnerius

改訂新版 世界大百科事典 「イルネリウス」の意味・わかりやすい解説

イルネリウス
Irnerius
生没年:1055ころ-1130ころ

イタリアの法学者。注釈学派ボローニャ学派)の創始者とされる。ドイツ人であったとする説もあるが,おそらくはボローニャの生れ。イルネリウスの生涯と活動について確実に知られるところはわずかである。最初は自由学芸教師であったらしく,修辞学の枠内で法律の教育を行っていたが,その後ローマ法大全そのものに全体的に通暁しようと努め,それを主たる教育対象とするにいたったとみられる。こうした革新に対し,ボローニャの指導層が明確な対応を示さなかった中で,トスカナ辺境伯マティルデは,遅くとも1113年以降には,イルネリウスを自己に付き従う法律家のひとりに加えた。マティルデの個人的保護下におかれたことで,イルネリウスの教育には,同様の試みをした先輩ペポPepoやその他の法律教師が有していたよりも高い権威が付与されることにもなった。マティルデ伯の死(1115)後,16年から18年までの間,イタリアに遠征した皇帝ハインリヒ5世に随行し裁判官をつとめた。年代記によると,18年3月ローマでイルネリウスは皇帝とローマ人に対し,教皇ゲラシウス2世の選挙を無効とし,対立教皇を選挙するために,ローマ法上の論証を提供したという。そのためか,のちに19年10月のランス公会議で,皇帝以下多数の教会分裂罪者とともに破門に処された。しかし遅くともウォルムス協約(1122)後には教育を再開していたとみられる。イルネリウスの学問業績は,学説彙纂ディゲスタ)をも含めて,ローマ法大全の全体に対し,高度に文献学的なテキスト批判をともないつつ,これに文法学・論理学的性格の釈義研究を加えたことにある。こうした《注釈》以外にも,多くの著作がイルネリウスのものとして伝えられているが,今日では研究の結果その信憑性否定ないし疑問視されている。
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大学事典 「イルネリウス」の解説

イルネリウス

11世紀末から12世紀初期に活躍した法学者。名前もWerneriusとも言われ,その出自,経歴ともによく分かっていない。神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の司法会議に裁判官として出席したとされる。ボローニャで,従来の俗化したローマ法ではなく,改めて「ユスティニアヌス法典」全体のテキストに注釈の方法を導入し,自律的な学問としてのローマ法研究に高めた。彼の門下から,さらに著名なローマ法学者が輩出し,ボローニャには多くの法学校(イタリア)ができ,ヨーロッパ各地から学生が集まった。この学生たちの集団がボローニャ大学の原型をなす。そのため,大学の起源をイルネリウスの学校に求める傾向が生まれたが,ローマ法の復興者としての側面と法学校の復興者としての側面を同一視して,大学の起源に結びつけることには疑問もある。
著者: 児玉善仁+山辺規子

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イルネリウス」の意味・わかりやすい解説

イルネリウス
いるねりうす
Irnerius
(1050/1055―1130ころ)

イタリアの法学者。注釈学派の祖であり、ヨーロッパ法律学の祖ともいわれる。ボローニャの法学校でローマ法を講じた。彼の手法は、『ユスティニアヌス法典』の行間や欄外に注釈glossaを付すものだったので、彼の一派は注釈学派(グロッサトーレン)とよばれている。彼の学問的名声は広くヨーロッパに広まって、各地から学生が集まり、「法の灯」lucerna iurisと慕われた。

[佐藤篤士]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イルネリウス」の意味・わかりやすい解説

イルネリウス
Irnerius

[生]1050頃.ボローニャ
[没]1130頃
北イタリアのボローニャの法学者。その高い学問的権威のゆえに,「法の灯台」とたたえられ,註釈学派の第一人者であった。ヨーロッパ法学の創造者であり,近代的法解釈学の創始者でもあった。

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