朝日日本歴史人物事典 「中井源左衛門」の解説
中井源左衛門(初代)
生年:享保1(1716)
江戸中期の近江商人。光武と号し晩年は良祐。近江国蒲生郡日野(滋賀県日野町)の漆器製造販売の家に生まれる。幼時に家運傾き,両親に死別して貧窮のうちに成長。他から勧められた江戸商家奉公を断わり,19歳のとき,漆器の絵を描いてためた2両と薬商である母方の叔父から借りた15両に,家の遺金3両を加えた計20両を元手金として,関東への売薬行商を開始した。近江と関東の間の往復を繰り返し,30歳で下野に出店した。その後仙台を中心に奥州街道沿いに店舗網を拡大し,上方の伏見,丹後後野にも開店した。上方と奥羽の間で,古手(古着),繰綿,青苧,紅花,生糸などの商品を産物回しの商法で展開し,質屋,酒造業も兼業した。元方,出店,枝店からなる十数の支店網管理のため,合資組織を採用し,決算報告書では複式決算を実行するなど合理的経営を行い,寛政6(1794)年79歳で隠退した。一代にして11万両の資産を築き,全国長者番付に列した源左衛門の到達した経営理念は89歳のときの遺訓である「金持商人一枚起請文」に凝縮している。このなかで,致富の秘訣は始末と長寿の2語に尽きるとし,正路の商売に励んで金をためる人を善人と呼んで,利潤追求を絶対肯定し,善人が連続して子孫に出現するかどうかは運であり,だからこそ陰徳善事を積みながら祈らなければならないといっている。体験を踏まえた,商いの達人の至言である。<参考文献>江頭恒治『近江商人中井家の研究』
(末永國紀)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報