中北村
なかきたむら
[現在地名]野洲町中北
北村の南にあり、東を朝鮮人街道が走る。北西辺を流れる西祇王井川(童子川)を隔て虫生村(現中主町)。南隣する永原村の永原御殿本丸と堀の一部が字森下にまで及んでいる。南部に畑や藪地を取込んだ集落がある。条里地割が認められ、西角の字新田は新開地。永禄八年(一五六五)五月一五日付の六角承禎御教書(北共有文書)に中北村とみえる。天正一九年(一五九一)四月の徳川家康知行目録写(大谷文書)に江辺町・中北村・中村として一千四〇九石余とある。
中北村
なかきたむら
[現在地名]古川町栄一―二丁目・新栄町・末広町・宮城町・金森町
古川町方村の北に連なり、東は下北村・上北村、西は宮川を越して対岸に及んでいた。もと北村の内で、元禄飛騨国検地反歩帳では古川郷に属し、高三五八石余、田二七町三反余・畑九反余とあるが、当村の田畑はすべて古川町方村よりの入作である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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