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中城城 なかぐすくじょう

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日本の城がわかる事典の解説

なかぐすくじょう【中城城】

沖縄県中頭郡中城村にあった城(グスク)。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。15世紀琉球王国の尚泰久(しょうたいきゅう)王の時代に、護佐丸(ごさまる)が築城したといわれる。城は当時貿易港であった屋宜港(ヤージンナト)から2kmほど離れた標高約160mの丘陵上に築かれ、東崖縁を天然の要害としており、グスクのなかで最も遺構がよく残っていることで知られている。城壁はおもに琉球石灰岩の切石を積んで築かれ、石垣にはノヅラ積み(南の郭)、ヌノ積み(豆腐積み、一の郭、二の郭)、アイカタ積み(亀甲乱れ積み、北の郭、三の郭、物見台)の手法が見られる。1972年(昭和47)に国の史跡に指定され、2000年(平成12)には首里城(那覇市)跡などとともに、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコ世界遺産文化遺産)にも登録された(登録名称は中城城跡)。那覇バスターミナルから30バスで中城役場下車、徒歩約15分。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中城城
なかぐすくじょう

沖縄県中頭郡(なかがみぐん)中城村と北中城村の村境にある城跡。護佐丸(ごさまる)が1440年(永享12)ごろに築造したと伝わるが、正確にはそれ以前からすでに存在した城に彼が増築の手を加えたもの、というのが真相らしい。護佐丸はこの城を拠点に勢力を広げたが、1458年(長禄2)ライバル阿麻和利(あまわり)により滅ぼされたという。曲線を描く城壁と美しい拱門(きょうもん)(アーチ型の門)がよく保存されており、1853年(嘉永6)にこの城跡を見学したペリー提督派遣の調査隊もその築城技術を絶賛している。近世には中城間切(まぎり)(行政区画)の番所(ばんじょ)(役所)が城内に置かれた。周辺は中城、北中城両村によって運営される中城公園となっており、県内有数の行楽地となっている。国指定史跡(1972)。2000年(平成12)琉球(りゅうきゅう)地方の独特な文化遺産を対象に「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界遺産の文化遺産に登録されており、登録遺産群9か所のうちの一つに含まれている(世界文化遺産)。[高良倉吉]

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世界大百科事典内の中城城の言及

【北中城[村]】より

…現在も農業が主で,サトウキビ,野菜,花卉栽培が行われる。護佐丸が15世紀に築城した中城城跡(史)が中城村にまたがってあるほか,沖縄の民家を代表する中村家住宅(重要文化財),沖縄最古の貝塚といわれる荻堂貝塚(史)があり,民俗芸能として南島踊が知られる。【堂前 亮平】。…

【中城[村]】より

…海岸沿いの肥沃な沖積低地と背後の丘陵地からなる。第一尚氏王統の尚泰久時代(1454‐60)に忠臣護佐丸が与勝(よかつ)半島の勝連(かつれん)城に拠る阿麻和利への抑えとして配され,北部台地上に中城城を築城ないし増築した。だが阿麻和利は逆に讒訴(ざんそ)して討手となり中城城を攻撃,護佐丸は一矢も報いず自刃した。…

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