…1799年(寛政11)刊。編者中川忠英は徳川家旗本で,1795‐96年(寛政7‐8)長崎奉行に在職中,同地に滞在した清国人から,清国の風俗習慣を詳細に聞きとり,画師に図絵をかかせ,和文で解説を付したもの。年中行事,居家,冠服,飲食,閭(りよ)学,生誕,冠礼,婚礼,賓客,羈旅(きりよ),喪礼,祭礼,僧徒の13巻に分かち,図絵を付して解説してある。…
…例えば,寛永鎖国令の定着を図った馬場利重,糸割符廃止の黒川正直,市法貿易法制定の牛込重忝(しげのり),定高制・唐人屋敷設定の川口定恒らはいずれも在任10年以上の熟達者で,正徳新例の立役者大岡清相も6年間立案施行にあたり現職中に病没した。幕末には《清俗紀聞》〈長崎覚書〉などの著者中川忠英,シーボルトに鳴滝塾など出島外での活動を許した高橋重賢,フェートン号事件の責を負って自害した松平康英などが有名であるが,収賄事件関係者も少なくない。鎖国直後と幕末には下僚として与力・同心,または出付出役が置かれたが,おおむね家老・用人以下の家臣(給人)が手足となって,町年寄以下の町役人を支配した。…
※「中川忠英」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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