中川町(読み)なかがわちよう

日本歴史地名大系 「中川町」の解説

中川町
なかがわちよう

面積:五九五・〇二平方キロ

昭和三九年(一九六四)中川郡中川村が中川町と改称して成立。上川支庁北端、中川郡の西部に位置する。北から西にかけて留萌支庁天塩郡の幌延ほろのべ町・天塩町・遠別えんべつ町、東は宗谷支庁枝幸えさし中頓別なかとんべつ町、中川郡の音威子府おといねつぷ村・美深びふか町、南は空知支庁雨竜うりゆう幌加内ほろかない町と接する。町域は天塩山地にあり、東部はパンケ山(六三一・八メートル)、ペンケ山(七一六・三メートル)、および西流する天塩川を挟んで鬼刺おにさし(七二八・一メートル)が南北に連なり、西部は標高六〇〇―四〇〇メートル級の山嶺が続く。天塩川は支流安平志内あべしない川を合流したところで北に流れを変える。天塩川右岸沿いにJR宗谷本線と国道四〇号が通る。同右岸の山林は大部分が北海道大学北方生物圏フィールド科学センターの中川地方研究林で、西部から南部にかけての山地は国有林となっているが、これらを含めて町域の八五パーセントが森林で占められる。


中川町
なかがわまち

[現在地名]前橋市三河町みかわちよう二丁目

西の片貝かたかい町から続く主要な通筋で、東はしん町に続く。北は武家居住区の大塚おおつか町・百軒ひやつけん町、南は天川原あまがわら村。貞享元年(一六八四)の「前橋風土記」に町名がある。寛政二年(一七九〇)の家数三七・竈数三七(うち家主三七)、男八三・女五七、寺社一、持馬四(「家数人別書上帳」前橋市立図書館蔵)。文政一二年(一八二九)には町内に畳刺三・鍛冶二・屋根葺一・大工一・板割一がいた(「前橋藩諸職人元帳」星野文書)


中川町
なかがわちよう

[現在地名]江東区佐賀さが二丁目

中之なかの堀沿いの町屋元木場もときば二一ヵ町の一。深川中川ふかがわなかがわ町とも称した。北は中之堀を挟んで今川いまがわ町、西は佐賀町・御家人拝領屋敷・小栗検校屋敷、南は佐賀町、東は中之堀を挟んで富田とみた町。文政町方書上によれば、元禄一三年(一七〇〇)町場となり、正徳三年(一七一三)町奉行支配となった。町内総間数は京間で六二間余、内訳は表方は南北間口・裏幅とも五〇間余、東西は裏行一七間余、裏方は南北間口一二間余・裏幅一二間余、東西は裏行が南方一三間余・北方一四間余、総坪数一千四五坪余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中川町」の意味・わかりやすい解説

中川〔町〕
なかがわ

北海道北部にある町。 1964年町制。町域のほとんどが山地で,林業が発達。天塩川の河谷沿いでは畑作と酪農が行われる。国道 40号線,JR宗谷本線が通る。面積 594.74km2人口 1528(2020)。

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