中性院
ちゆうしよういん
上野集落の西北丘陵、次田にあり、木津川を挟んだ南方前面に砂丘が迫る。宝貴山と号し、高野山真言宗、本尊薬師如来。
中性院文書によると、創建は天平一四年(七四二)行基が悪疫の流行する当地で自刻の薬師如来像を安置、温泉を発見して浴治療法を伝えたのに始まるという。
延享三年(一七四六)本山の熊野郡大向村(現久美浜町)の迎接寺(現遍照寺)に差し出した文書によると、本堂東西七間、南北三間。本尊の薬師如来像は二尺九寸坐像、伝行基作。聖観音(一尺八寸立像、景門仏工作)を安置する観音堂は三間四面。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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