中曽根内閣(読み)なかそねないかく(英語表記)Nakasone Administration

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中曽根内閣
なかそねないかく
Nakasone Administration

鈴木善幸首相の辞意を受けた自民党では,田中派と鈴木派の支持を得た中曽根康弘が総裁選挙で河本敏夫や安倍晋太郎らを破り当選し,82年 11月 27日に首相に就任した。以後 87年 11月6日まで首相に在職,佐藤内閣以後久々の長期政権を保持した。中曽根内閣は西側同盟の一員として積極的な外交を展開すると同時に「戦後政治の総決算」を掲げ,靖国神社の公式参拝を初めて実施したほか,行財政改革においては臨調と,その後身である行革審の答申を得て,規制緩和,民活,民営化など「小さな政府」を志向し,その中から電電公社,専売公社や国鉄の民営化を実現させた。また教育改革にも意欲を示し,臨時教育審議会を設置したが,未完に終わった。財政政策では 90年度赤字国債脱却・増税なき財政再建を目標に掲げ,緊縮財政をとり続けた。しかし赤字国債発行削減では大きな進展は見られなかった。その中で防衛予算は例外で着実に増加し,87年度予算ではついに GNP1%枠を突破した。税制改革では「売上税法案」を第 108回国会に提出したが,野党や国民の強い反発を受けたために廃案となった。中曽根首相はこれら政治問題の提起や立案に当たり,臨調・臨教審など首相や官房長官などの公的・私的諮問機関を多用し,そこにブレーンを送り込むとともに,トップダウン型の「大統領的首相」を目指した。

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