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中曽根康弘内閣 なかそねやすひろないかく

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中曽根康弘内閣
なかそねやすひろないかく

鈴木善幸(すずきぜんこう)内閣にかわり成立。「戦後政治の総決算」を最大の政治課題とする内閣。[伊藤 悟]

第一次

(1982.11.27~1983.12.27 昭和57~58)
第一次中曽根内閣は、官房長官、蔵相、党幹事長など内閣と自由民主党(自民党)の要職を同党の田中派が占め「田中曽根内閣」などとよばれた。また灰色高官の二階堂進を党幹事長、加藤六月(かとうむつき)を国土庁長官に任命するなど政治倫理問題に消極的であった。外交政策では「西側の一員」路線にたち、1983年1月の訪米で「日本列島不沈空母化」「三海峡封鎖」構想を提起し、アメリカの対ソ戦略構想に日本を組み込む方針を明確にした。これに従い武器輸出三原則を放棄してアメリカへの武器技術供与の道を開き、海上交通路防衛に関する日米共同作戦研究に着手した。また予算編成における防衛費の突出を認めた。国内政治では1983年3月の臨時行政調査会最終答申を受けて5月に行政改革大綱を決定し行革を最大の内政課題とした。[伊藤 悟]

第二次

(1983.12.27~1986.7.22 昭和58~61)
新自由クラブとの連立内閣として成立。「田中支配排除」の総裁声明を受けて党幹事長・官房長官のポストから田中派を外したが、ポスト数に変わりはなく、同派重視は続いた。総選挙での自民党敗北を受け従来のタカ派的イメージの修正を図り、外交面でアメリカのレーガン大統領との「ロン・ヤス関係」を強調し、全斗煥(ぜんとかん)韓国大統領の初訪日を実現するなど「世界の中曽根」をアピールして内閣支持率を上昇させた。内政では行財政改革で総務庁(現総務省)発足と電電・専売両公社民営化法案を成立させ、さらに教育改革を掲げて1984年9月に臨時教育審議会を発足させた。1985年には初の靖国(やすくに)神社公式参拝、国家秘密法案の提出などを行って、「総決算」路線を全面に押し出した。1986年5月に衆議院の定数是正を実現したあと、6月2日臨時国会冒頭に異例の本会議抜きの解散を行って衆参同日選挙を強行した。[伊藤 悟]

第三次

(1986.7.22~1987.11.6 昭和61~62)
衆参同日選挙での自民党圧勝を受けて成立。日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化を実施したほか、売上税導入・マル優廃止を企画し、防衛費のGNP1%枠突破など、国会での圧倒的多数を背景に従来の懸案を一気に解決しようとし、さらに戦後政治の見直しも提起した。[伊藤 悟]
『読売新聞政治部編『素顔の中曽根政権 夜討・朝駆レポート「権力の素顔」より』(1985・徳間書店) ▽牧太郎著『中曽根政権・一八〇六日』上下(1988・行研) ▽世界平和研究所編『中曽根内閣史』(1995~97・世界平和研究所、丸ノ内出版発売)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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