政治家。大正7年5月27日群馬県高崎市生まれ。東京帝国大学法学部から内務省に入る。第二次世界大戦後政界入りし、1947年(昭和22)の総選挙で民主党から当選、以後連続当選。民主・改進党のころは「青年将校」の一人で反吉田の急先鋒(せんぽう)。保守合同後は自民党河野(こうの)派に属する。1959年岸信介(のぶすけ)内閣の科学技術庁長官。1965年河野一郎の死後中曽根派をつくり政権獲得を目ざす。1972年総裁選では田中角栄支持に回り以後田中派との結び付きを強める。1976年ロッキード事件で児玉誉士夫(こだまよしお)絡みの疑惑に包まれ一時党幹事長辞任に追い込まれたが、その後復権し、鈴木善幸(ぜんこう)内閣の行政管理庁長官を経て、1982年11月首相の座を獲得。中曽根は「風見鶏(かざみどり)」の異名で知られ変わり身の早さは有名だが、本質は改憲論者で核武装を提唱したこともある。首相就任後も発言の朝令暮改ぶりはあるものの、基本的には軍拡・改憲のタカ派的路線を歩んだ。1987年11月首相を辞任。1989年(平成1)自民党を離党、1991年復党したが、この間もそれ以降も衆議院議員を務め、衆議院議員当選は20回に及ぶ。2003年11月の総選挙で出馬を辞退し、政界を引退した。
[伊藤 悟]
『中曽根康弘著『政治と人生』(1992・講談社)』▽『中曽根康弘著『二十一世紀 日本の国家戦略』(2000・PHP研究所)』▽『中曽根康弘著『自省録――歴史法廷の被告として』(2004・新潮社)』▽『世界平和研究所編・刊『中曽根内閣史』全5巻(1995~1997)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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