朝日日本歴史人物事典 「中甚兵衛」の解説
中甚兵衛
生年:寛永16(1639)
江戸中期の水利功労者。河内国中河内郡今米村(大阪市)の庄屋九兵衛の3男。幼名甚助。父九兵衛は大和川の流路変更による水害防禦を企画,慶安3(1650)年,江戸幕府に請願するが却下され,遺志を継いだ甚兵衛も再三幕府に請願をかさねた。幕府は元禄16(1703)年,ついに受理,翌年3月幕府直轄の公儀普請と姫路藩の助役で着工,甚兵衛も普請役の責任者として活躍。のちに岸和田・三田・明石3藩が姫路藩に代わって工事を継承し,同年10月竣工。この大和川付替工事による古川床と沼床の干拓で1064haの新田を創出。竣工の翌年出家して乗久と名乗った。<参考文献>西山全太郎『贈従五位中甚兵衛略伝』写本(大阪府立中之島図書館蔵),藤原秀憲『大和川付替工事史』
(葉山禎作)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報