日本大百科全書(ニッポニカ) 「中甚兵衛」の意味・わかりやすい解説
中甚兵衛
なかじんべえ
(1639―1730)
江戸中期の治水家。河内(かわち)国河内郡今米村(大阪府東大阪市)庄屋(しょうや)川中九兵衛(くへえ)の三男。父の九兵衛は大和(やまと)川流域を水害から守るため、河道の変更を計画して幕府に嘆願、志を果たさず死去した。遺志を継いだ甚兵衛は、川筋付替え運動の中心人物として奔走、上方(かみがた)代官万年長十郎の支援を得て幕府に訴願を重ね、ついに1703年(元禄16)公儀普請(こうぎふしん)の実現に成功。翌04年(宝永1)新大和川が開通し、新田1063町歩が開発された。養家の中姓を称し乗久(じょうきゅう)と号した。享保(きょうほう)15年2月25日没。
[藤本 篤]