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中甚兵衛 なか じんべえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中甚兵衛 なか-じんべえ

1639-1730 江戸時代前期-中期の治水家。
寛永16年生まれ。河内(かわち)今米村(東大阪市)の庄屋川中九兵衛の子で,中家の養子となる。父の遺志をついで大和川の川筋付替(かわすじつけかえ)を幕府に再三願いでて,元禄(げんろく)16年許可された。翌宝永元年3月工事がはじまり同年10月完成し,1064haの新田が開発された。享保(きょうほう)15年9月20日死去。92歳。幼名は甚助。号は乗久。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

中甚兵衛

没年:享保15.9.20(1730.10.31)
生年:寛永16(1639)
江戸中期の水利功労者。河内国中河内郡今米村(大阪市)の庄屋九兵衛の3男。幼名甚助。父九兵衛は大和川の流路変更による水害防禦を企画,慶安3(1650)年,江戸幕府に請願するが却下され,遺志を継いだ甚兵衛も再三幕府に請願をかさねた。幕府は元禄16(1703)年,ついに受理,翌年3月幕府直轄の公儀普請と姫路藩の助役で着工,甚兵衛も普請役の責任者として活躍。のちに岸和田・三田・明石3藩が姫路藩に代わって工事を継承し,同年10月竣工。この大和川付替工事による古川床と沼床の干拓で1064haの新田を創出。竣工の翌年出家して乗久と名乗った。<参考文献>西山全太郎『贈従五位中甚兵衛略伝』写本(大阪府立中之島図書館蔵),藤原秀憲『大和川付替工事史』

(葉山禎作)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中甚兵衛
なかじんべえ
(1639―1730)

江戸中期の治水家。河内(かわち)国河内郡今米村(大阪府東大阪市)庄屋(しょうや)川中九兵衛(くへえ)の三男。父の九兵衛は大和(やまと)川流域を水害から守るため、河道の変更を計画して幕府に嘆願、志を果たさず死去した。遺志を継いだ甚兵衛は、川筋付替え運動の中心人物として奔走、上方(かみがた)代官万年長十郎の支援を得て幕府に訴願を重ね、ついに1703年(元禄16)公儀普請(こうぎふしん)の実現に成功。翌04年(宝永1)新大和川が開通し、新田1063町歩が開発された。養家の中姓を称し乗久(じょうきゅう)と号した。享保(きょうほう)15年2月25日没。[藤本 篤]

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