中田英寿(読み)なかたひでとし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中田英寿」の意味・わかりやすい解説

中田英寿
なかたひでとし
(1977― )

プロサッカー選手。日本を代表するミッドフィルダー(MF)として活躍した。1月22日、山梨県生まれ。小学校3年生のときにサッカーを始める。韮崎(にらさき)高校を経て1995年(平成7)にJリーグベルマーレ平塚(現、湘南(しょうなん)ベルマーレ)に入団、高校卒業のルーキーながら全28試合中26試合に出場した。Jリーグの公式戦デビューは1995年3月11日、ゼロックススーパーカップのヴェルディ川崎(現、東京ヴェルディ)戦。J1リーグ戦初出場は同年3月25日、ジェフ市原(現、ジェフ千葉)戦。国際Aマッチ初出場は1997年5月21日の韓国戦で、試合では抜群の存在感を示し、そのまま日本代表の司令塔の座を獲得した。1997年に日本年間最優秀選手賞、1997年と1998年にアジア年間最優秀選手賞を受賞。1998年にペルージャ(イタリア)に移籍。その後2000年初めからASローマ(イタリア)、2001~2002年シーズンからはパルマ(イタリア)でプレー。2004年1月にはボローニャ(イタリア)に6か月の期限付きで移籍した。2004~2005年シーズンはフィオレンティーナ(イタリア)に所属。2005年8月にイングランドプレミアリーグボルトンに移籍した。

 2000~2001年シーズンにはASローマの選手として日本人初のセリエA優勝を経験した。1998年ワールドカップ・フランス大会、2002年ワールドカップ韓国/日本大会および2006年ワールドカップ・ドイツ大会の日本代表選手。ドイツ大会一次リーグ敗退直後の2006年7月3日、現役引退表明。2007年12月FIFA親善大使に就任

[中倉一志]

『中田英寿著、小松成美解説『nakata.net 98-99』(2000・新潮社)』『中田英寿著、小松成美解説『nakata.net 2000』(2001・新潮社)』『小松成美著『ジョカトーレ――中田英寿新世紀へ』(2001・文芸春秋)』『中田英寿著、小松成美解説『nakata.net 2001』(2002・新潮社)』『中田英寿著『nakata.net 2002』(2003・新潮社)』『中田英寿著『nakata.net 2003』(2004・新潮社)』『中田英寿著、小松成美解説『ドイツW杯への道 nakata.net』(2005・新潮社)』

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百科事典マイペディア 「中田英寿」の意味・わかりやすい解説

中田英寿【なかたひでとし】

サッカー選手。山梨県生まれ。韮崎高校卒業後,Jリーグのベルマーレ平塚に入団。1996年のアトランタオリンピックでは史上最年少で日本代表に選出されたほか,チームの中心選手として活躍。1998年イタリア・セリエAのA.C.ペルージアへ移籍し,98-99年のシーズンで33試合に出場して10得点。99-00年はA.C.ローマで15試合に出場して2得点。2001年よりA.C.パルマ所属。2004年ボローニャへ移籍。ポジションはミッドフィルダー。2006年,ワールドカップ・ドイツ大会での日本敗退後,引退を表明。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中田英寿」の解説

中田英寿 なかた-ひでとし

1977- 平成時代のプロサッカー選手。
昭和52年1月22日生まれ。平成7年ベルマーレ平塚に入団。8年アトランタ五輪代表となり,9年対韓国戦で日本代表入り。ミッドフィルダーとして10年ワールドカップ(フランス大会)に出場,たかい評価をうける。同年イタリアのセリエAのペルージャにうつり中心選手として活躍。12年ローマに,13年パルマに移籍。18年ワールドカップ(ドイツ大会)で,日本の一次リーグ敗退後に引退を表明。山梨県出身。韮崎高卒。

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367日誕生日大事典 「中田英寿」の解説

中田 英寿 (なかた ひでとし)

生年月日:1977年1月22日
平成時代の元・サッカー選手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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